90年代は、80年代のスーパースターがその神格化されたイメージを自ら崩して遊ぶ時代だった。

一種のキャラのセルフパロディ化である。
例えば、正統派二枚目俳優の田村正和は94年から始まったドラマ『古畑任三郎』でトボけた中年刑事役を演じ、新しいファン層を開拓。このドラマの中で、田村は以前出演した風邪薬CMの台詞を自ら引用して話題となった。
バラエティ番組では、イケメンスポーツキャスターのイメージが強かった元巨人投手の定岡正二が、『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』で情けない「へなちょこサダ」として人気を博した。定岡のプロ入り時の恩師・長嶋茂雄監督も「定岡、最近若い子に人気らしいですねぇ~」と喜んでいたという。

あの矢沢永吉もそうだ。ロックスターとして頂点を極めた80年代が終わり、90年代に入るとテレビドラマ『アリよさらば』で中年高校教師に扮し、缶コーヒーのCMではくたびれたスーツ姿のさえないサラリーマンを演じてみせた。その度に「あのスーパースターヤザワがこんなことを」と話題になる。
そして、90年代も終わりに近付いた99年夏に公開された矢沢永吉の初主演映画が『お受験』である。

矢沢永吉の初主演映画『お受験』


矢沢の役・富樫真澄は実業団に所属する落ち目の長距離ランナー。かつては有名選手だったが、45歳となり引退を考える日々。悶々としながら家に帰ると、妻の利恵(田中裕子)は自分に興味を示さず、1人娘の真結美(大平奈津美)の小学校受験に燃えている。「受験はゲームであり、クイズ。負けても傷付かず、勝てば安泰のレールが敷かれます」とお受験教育に邁進する妻を苦々しく思いながらも、塾の模擬面接に付き合う元名ランナーの富樫真澄。


そんなある日、子会社への出向を命じられ、接待の席では猛烈な腹筋運動を披露して場を盛り上げるも、出向直後に子会社は倒産。さらに陸上の実業団もなし崩し的に活動停止。いわば遠回しのリストラに遭い職を失う。だが、そのことを中々妻に伝えられず、献血で時間をつぶす哀しい昼下がり。しかし、ついに模擬面接中に「無職です」と告白。思わずショックで屁をこく妻だったが、お受験のためにも自らが働き、旦那が主夫をすることを決断する。

さえない中年男役を演じた矢沢永吉


まさにここからがこの映画の見所である。なにせ「あの矢沢永吉がビニール手袋をはめてトイレ掃除をかまし、家庭で節約料理を作る」のである。もちろん最初から上手くいくはずもなく、外で働きだした妻とはぶつかる日々。「あの化粧品、月5万円はするぞ」と怒ると、「あなたが私をブスにした!」と反論される世界の矢沢じゃなくて富樫真澄、45歳。
仕事という唯一のプライドの拠り所を失った中年男性は切ない。よし最後に自分の原点の湘南マラソンで走って有終の美を飾ってやる! なんつって意気込むも、なんとその日は娘のお受験の日。さあどうする矢沢……じゃなくて富樫真澄。


正直、終盤のストーリー展開はあまりに現実離れしすぎて無茶苦茶で、映画としての完成度はお世辞にも高いとは言えない。公開直後に「なんで矢沢永吉がこんな映画に出るのか?」と話題になったが、やはり18年が経過した今観ても、その疑問は拭いきれない。00年代に入り、なお現役バリバリ。若いミュージシャンたちからはリスペクトされ、ロックフェスではリアルタイムで矢沢永吉を知らない若い世代を圧倒してみせる。なのになぜさえない中年男役を演じたのか?

「矢沢がやってることは熟練のツッパリです」


その謎解きのヒントは、2001年2月に刊行された著書『アー・ユー・ハッピー?』の矢沢永吉の言葉の中にあった。
「改めていま、おじさんのツッパリを見せなきゃいけない時期に来ているんだと思う。おじさんのツッパリっていうのはマジだ。命をかけている。ダメだったからといって、知らん顔して逃げるわけにはいかない。子どももいれば、女房もいて、会社もある。それでもしまいに頭に来て、お膳ひっくり返したいこともあって、だからツッパリだ」

そして矢沢は言うのだ。
「これはもう熟練されたツッパリで、うわっつらだけのツッパリじゃない。
いまオレが体で示していること、矢沢がやってることは熟練のツッパリです。オレはマジにやっている」

ついに50歳を迎え、私生活では親しいスタッフに裏切られ、多額の借金を背負うハメになった99年の矢沢永吉。その姿はバブルが崩壊し、信頼していた会社からリストラに遭い、娘の援助交際に絶望する当時の中年男性たちの苦悩と重なる。あの頃、矢沢永吉が映画やドラマで演じた一見頼りなくてもやる時はやる中年男性の姿は、「俺はまだ終わらない。だからあんたらもガンバレ」という同世代の男たちへのエールだったように思う。

いつの時代も、おじさんのツッパリはマジである。


『お受験』
公開日:1999年7月3日
監督:滝田洋二郎 出演:矢沢永吉、田中裕子、大平奈津美
キネマ懺悔ポイント:43点(100点満点)
本作品の監督はピンク映画出身の滝田洋二郎。この10年後に監督した映画『おくりびと』では日本アカデミー賞で最優秀作品賞・最優秀監督賞を受賞。さらに第81回米国アカデミー賞では日本映画初の外国語映画賞も受賞する快挙。ヤザワ的に言えば、見事に映画界の「成り上がり」を実現してみせた。
(死亡遊戯)

(参考資料)
『アー・ユー・ハッピー』(矢沢永吉/角川文庫)

※イメージ画像はamazonよりお受験 [レンタル落ち]
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