ロリコン大国日本で男性保育士の女児着替え補助は適切か?【勝部元気のウェブ時評】
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千葉市長の熊谷俊人氏が、1月末に自身のTwitterで男性保育士に娘の着替えを担当させないことを望む人に対して「差別です」等の発言をして波紋を広げました。

私も、熊谷氏の主張しているように、男性保育士に担当させないということは必ずしも正しい道だとは思えないのですが、熊谷氏の発言に関して主に以下の2点に強い違和感を覚えました。


(1)「社会が考慮するに足る理由無しに性による区別をすることは差別」という表現を用いて批判したこと。小児性愛者による性的加害の問題があるにもかかわらず、社会が考慮するに足る理由が無いと断定しています。また、「差別」という表現の使い方が、「男性差別を盾に女性差別を矮小化する人々」が日ごろ使っている文脈と同じだと感じました。

(2)「娘を男性保育士に着替えさせたくないと言う人は、同様に息子を女性保育士に着替えさせるべきではないわけですが、そんな人は見たことがありません」という発言をしたこと。小児性愛者による性的被害は圧倒的に女児のほうが多く、リスクが高ければ対策の強度を上げるのが当然ですが、「女性の場合は問題にならないから男性も問題ではない」という論拠を用いたことが、女児の性的被害に対して危機意識が乏しいと感じました。

実際、熊谷氏はインターネット上で議論が行われたのちにFacebookの投稿で、「個人的に今回の意見交換で一番勉強になったことは、(中略)女性の中に『男性に対して性的脅威』を感じる方が多いことが改めて分かったことです。」と述べたように、女性が感じる性的脅威に関して理解や認識が不十分だったことが批判を受けることに繋がったのだと思います。

そこで今回は、この男性保育士による女児への更衣介助問題に関して、社会はどう対処するべきかを論じたいと思います。

熊谷氏の目指すべき方向自体は正しい


まず、熊谷氏の主張しているように、男性保育士に女児の担当をさせないということは必ずしも正しい措置とは私も思えませんでした。
 
男性の産婦人科医が当たり前に存在しているように、保育士が専門職であることを考慮すれば、患者や児童が異性でも性的な視点を持つこと無く業務を行うことが求められているものであり、それができないならばその時点で専門職として失格です。一部では実際に男性保育士による更衣介助が制限されているケースもあるようですが、目指すべき方向性としては、性別関係無く業務をできることでしょう。

そもそも女子差別撤廃条約の第一条に、「差別とは性に基づく区別、排除又は制限区別すること」と明記されており、本来いかなる区別もあってはなりません。ですから、熊谷氏の発言は「差別なき社会」を理想とする上での基本の理解としては間違っていないと思います。


「区別」が「差別」にならない例外もある


ただし、現実問題として必ずしも全ての区別を無くすわけにはいかず、各々の国が一定の区別措置もやむなしという判断がなされています。その基準としては、「(1)区別措置が無ければ公共の福祉を保つことが困難か?」「(2)公共の福祉が阻害されることの発生確率が高いか?」という2つの基準をベースに社会的に規定されているように思うのです。


たとえば、トイレや温浴施設が男女別になっているのも上記2つの基準において、「区別措置をしないほうが社会の不利益が大きい」と判断されるため、性別によって異なる扱いをすることが許されるのでしょう。

また、女性専用車両に関しても、日本人女性の3人に1人が被害に遭うという世界でも稀に見る高い発生確率を考慮すれば、区別措置は当然必要であり、それは差別とは見なさないのが妥当です。


なぜ「男性差別」を言う人はだいたい間違っているのか?


そもそも、とある社会問題が発生していることと、それに対して何らかの措置が取られることでは段階が異なりますよね? もちろん「性による区別」においても、(1)社会問題として発生している「一次的な現象」と(2)公共の福祉を守ることや一次的な差別現象を是正することを目的とした「二次的な措置」の2つの段階に分類することが可能です。

たとえば、女性にのみお茶出し等の仕事を任せることやLGBTQsに対して「気持ち悪い」と発言すること等が「一次的な現象」に該当します。政治や公権力が介入していないアナーキーな状態で起こっている問題です。

一方で、わいせつ行為という一次的な現象を予防する目的で温浴施設を男女別にすることや、政治家の偏りがジェンダー不平等の再生産に繋がっているという一次的な現象をストップさせるために政治家の男女比率を是正するクオータ制等が、「二次的な措置」にあたります。

このうち、基本的に「差別」と言えば、その大半は一次的な現象として起こりうることです。それゆえ、差別の問題に対して正しい認識を持っている人々の間では、「差別という表現は基本的に一次的な現象に対して用いるものだ」という感覚があります。ですから、二次的な措置に対して差別という言葉を用いる人に対して、「は!?そっち!?」という違和感を覚えるわけです。

もちろん二次的な措置が性差別に該当するケースもありますが、前述のように公共の福祉の観点から区別措置が妥当の場合のほうが多いわけです。むしろ、差別を盾に二次的な措置への批判をすることは、一次的な現象の被害者に対する批判にもつながりかねません。性暴力のケースであればセカンドレイプに該当します。

女性専用車両に対して「男性差別だ!」という声をあげる人がその典型例でしょう。
彼らは大量に発生している痴漢という一時的な現象に対していちゃもんをつけるよりも、痴漢防止を目的とした女性専用車両という二次的な措置に対していちゃもんをつけます。それは明らかに痴漢の加害者に対する幇助行為です。

前述のように熊谷氏はのちの自分の認識の甘さを自覚したと思えるような投稿をしたことから察するに、熊谷氏に女性が遭う被害を矮小化する意図は無かったのかもしれません。ですが、このような問題に関して意識が低かったために、女性が遭う被害を矮小化している人たちと同じような文脈で批判を展開してしまい、非難を浴びたわけです。


ロリコンという諸悪の根源を叩け!


では、男性保育士の女児の更衣介助問題に関して、上記の2つの基準から「性による区別」という「二次的な措置」を施すべきでしょうか?

実際の被害件数が少ないとはいえ、世界でも類を見ないほどにロリコン文化が進んでいる現状を鑑みれば、保育士を性別で区別するという措置が妥当だとする意見も一理あると思いますし、そのような措置に踏み込まざるを得ないと考える保育園が出てくるのも当然だと思います。

ただし、私個人としてはまずはそれ以外の措置を進めるフェーズにあると思うのです。女性専用車両と同様、このような区別措置は、あくまで対症療法でしかないことを忘れてはなりません。

本来はその問題が発生している根源自体を潰すこと、つまり「(1)加害者の加害感情を大きくしないこと」と、「(2)潜在加害者を顕在加害者にしないこと」が大事です。痴漢撲滅という根源にまともに対処せずに、女性専用車両という区別措置を取らざるを得なくなった痴漢問題の二の舞を踏んではいけません。

それにはまず、あまりに甘過ぎる小児性愛に対する規制を諸外国並みに引き上げて、「小児性愛は社会悪である」という文化を醸成することが必要でしょう。熊谷氏が陥ったような、女性が感じる性的脅威に関する男性の無理解も、徹底的に無くしていかねばなりません。彼は信頼する女性から「日本はロリ大国」という指摘を受けたとのことですが、国として一刻も早くその状況を打破するべきです。

また、保育士や教師等、信頼されるべき立場を悪用して性犯罪に走った者に対して重罰を科すことも法整備を徹底する方法もあると思います。
国家試験の段階で小児性愛者を排除するような試みも必要です。

むしろ、女児が大人から性的加害に遭う場合、当然男性保育士からではなく、親や親せきや親の友人であるケースのことがほとんどですから、保育士がその監視役や女児の相談役になることができれば最適だと思います。

以上のように、「ロリコン大国日本で男性保育士の女児着替え補助は適切か否か?」というタイトルの問いに関しては、「区別措置をしないためにも徹底的な予防措置が必要だ」というのが私のアンサーです。是非、熊谷氏に限らず、日本の全ての政治家に小児性愛者対策を進めて頂きたいと思います。


LGBTQsから異性愛者が学ぶべきこと


最後に余談ですが、なぜ性による区別が本来目指すべき姿ではないかについて少し触れたいと思います。男性産婦人科医が問題無く業務を行っているという話は既に出しましたが、資格職とそのクライアントという接点があるケース以外にも秩序が保たれるケースは存在します。たとえば海外のヌーディストビーチ等もその一つでしょう。

また、温浴施設は身体的性で女湯と男湯を分けていますが、同性愛者やバイセクシャルやパンセクシャルの人々もいる中で、彼等彼女等の大半がしっかりと秩序を保って利用していますよね。それを考えれば、異性愛者でも性志向の対象である異性との間に区別が無くとも、十分に秩序を保つことは可能であると感じるのです。

社会の様々な場面において異性愛を前提とした発想に陥っており、それゆえ男女を分けることが当たり前だと感じている人も多いですが、いかなる性暴力を絶対に許さないという社会的合意が完成されていれば、性による区別措置の全てはその使命を終えることができるのではないでしょうか。私が生きている間に日本社会がそのレベルに達するとは到底思えないですが…

ですが、繰り返しになりますが、「全ての異性愛男性が悪いのではない!」と述べるに留めて、小児性愛者による女児に対する性的加害という一次的な現象に対して比重を置いて批判をしないならば、加害者幇助に他なりません。

レズビアンの女性保育士に対する不安ではなく、異性愛者の男性保育士に対する不安が顕在化するのは、結局は「ロリコン化」した潜在加害者が多いのが異性愛男性であり、彼等に対する社会(とりわけ女性)の不信感が強いからだと思うのです。


熊谷氏は自身の認識の甘さを自覚したと思えるような投稿をしていましたが、全ての日本人(とりわけ男性)に、自国のロリコン化問題を大変由々しき問題であると認識し、それに対して厳しく批判を加えていきましょうと呼びかけたいと思います。
(勝部元気)
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