毎週木曜19時放送のプレバト(MBS制作)。先週、俳句に挑戦したのは、中田喜子、真鍋かをり、上白石萌音、的場浩司、橋本良亮(A.B.C-Z)の5人。

お題は「梅と太宰府天満宮」。菅原道真を追って京都から飛んできたと言われる飛梅を含む6000本の梅を詠むか、もしくは、学問の神様へ願いが込められた絵馬を詠むかは自由だ。
発想がないと、添削にならない
最初に発表されたのは、的場浩司の句。
太宰府や梅の枝揺らすホーホケキョ
なぜかスタジオから失笑が漏れたこの一句。梅が咲いた所にウグイスがやってくるうららかな春を詠んだという。しかし、夏井先生いわく「売店の隅っこで埃被った絵ハガキをそのまま書いた。己の創意工夫が微塵もない」と厳しいダメ出し。30点、4位、才能ナシ。添削語がこちら。
太宰府や飛べぬ飛梅ホーホケキョ
飛べるウグイスと、飛べない飛梅の対比で作られた句。同じ単語こそ使っているが、まったく別物の句になっている。
前回、やっとの思いで2位になった橋本良亮(A.B.C-Z)の一句。
初参絵馬に願いを託すかな
意味はそのままだ。わかりやすい。しかし、そのままなのがいけないと夏井先生。「日本人全員知っているから教えてくれなくてけっこう」つまり、自分の観点や発想がないという事だ。5位、20点、才能ナシ
初参絵馬には書けぬ願いかな
これもほぼ同じ言葉だけでまるで違う句に“変わった”。橋本良亮の句も的場浩司の句と同じで、発想や観点が平凡だと良くしようがない。そこに夏井先生が“何か”を足さないといけないのだ。こうなると添削とはちょっとニュアンスが変わってきてしまう。夏井先生が良く言う「技術がないのは仕方ないから、その人なりの発想を見せて欲しい」とはこういう事なのかもしれない。
続いては、出演した映画「ちはやふる」で短歌を学んだという上白石萌音の一句。
咲き誇れ梅も祈願も晴れ晴れと
梅も絵馬の願いも両方とも咲き誇って欲しいという観点から生まれた句。夏井先生は「梅も祈願も」という並列の形を真ん中に使って安易に見えてしまうと説明。
晴れ晴れと咲けよ祈願も紅梅も
後半に梅を持ってきて、さらに紅梅にして色をつけたことで、情景を思い浮かべやすくなった。前の二人と違って、添削で“変わった”のではなく、明らかに“良くなった”。観点や発想のある句を直す時の夏井先生は楽しそうだ。
最後に、おしくも才能アリに届かなかった真鍋かをりの一句。
願掛けの若人仰ぐ梅は咲く
真鍋は、受験生が見上げた時に梅が満開で合格が約束されているような景色を思い浮かべてこの句を詠んだ。受験生を「願掛けの若人」と言ってみたり、「仰ぐ」「咲く」で脚韻を踏んでいるなど、工夫が見られると夏井先生はいう。確かに。すごく良い句に感じる。では、一体どこがダメなのだろうか?
「若人」の次に「梅」が来ると、梅を見ているので若人が上を向いているのは書かなくてもわかる。つまり、「仰ぐ」が必要ない。
願掛けの若人に梅咲う(わらう)日よ
咲う(わらう)とは、笑うように咲くことを意味している。劇的に合格する雰囲気が増したのが素人眼にもわかる。俳句ってすごい。
今回学んだ事は、素人なんだから“っぽい”物を詠むんじゃなくて、“感じた”ことを詠めということ。「かっこつけてんじゃないよ下手糞が」ってことだ。この全ての物事に通じるような教訓が身に染みる。
今夜のプレバトのテーマは「つくしと富士山」。夏井先生が「将来性の無い才能ナシ」と、これ以上ない暴言を吐く。
(沢野奈津夫)