昨日、現マイマミ・マーリンズのイチローが同僚選手のブランドン・バーンズと衝突し、右足と腰を痛めるというニュースが報道された。
「イチローは怪我をしない」という認知は、日米問わず持たれている。
そのためアメリカでも「16年間のシーズンの後、イチローはメジャーリーグ生活で初めてトレーナーに診てもらった」などと、驚きを持って報じられた。

しかし過去を振りかえっていくと、イチローも怪我によって欠場を余儀なくされたことがある。今回はそんなイチローと怪我の歴史を振り返っていこう。

長期離脱を経験した日本時代


怪我に強い印象のイチローであるが、日本時代は長期離脱も経験している。

1999年、8月24日の日本ハム戦にて、下柳剛から右手首に死球を受けて離脱。検査では骨折やひびは見つからなかったが、回復があまりに遅く、最終的には右手首尺骨に微細骨折があったのではという診断が下った。この怪我により、1994年から続けていた連続試合出場もパ・リーグ歴代4位の763でストップし、残りのシーズンを棒に振ってしまった。
そして翌2000年も、8月27日のロッテ戦でファールを打った際に右脇腹を痛めてしまう。(診断結果は右腹斜筋挫傷)。以降の試合出場は本拠地最終戦の守備固めのみに留まった。これは直前にメジャー移籍を発表したこともあり、ファンへの最後の顔見せという意味合いであった。

頭部死球も イチローを襲った"危機"


そして2001年シーズンよりシアトル・マリナーズに移籍したイチロー。怪我をまったくしないというイメージもあるが、怪我をしないわけではなかった。

フェンスに激突…4針縫った2002年


メジャー2年目の2002年、4月26日の試合でファールフライを捕りにいった際、本拠地セーフコ・フィールドのフェンスに左膝をぶつけて、4針縫ったこともあった。 翌日の試合は欠場したものの、翌々日にはすでに代打で復帰している。


このアクシデントは、セーフコ・フィールドのファールゾーンのフェンスがコンクリートだったことも原因となった。そのため、翌日にはコンクリートのフェンスをパッドで覆う措置が取られたという。

大記録目前で襲った頭部死球


イチローがメジャー歴代シーズン最多安打記録を更新した2004年。この年も試合中のアクシデントによって、途中交代を経験している。

この年の8月18日に行われたロイアルズ戦、史上初となる1年目からの4年連続200安打まであと11本に迫っていたイチローであったが、頭部に死球を受けてしまった。さすがのイチローもその場に数分間倒れ込み、負傷交代。試合後には、軽い脳震盪と言う診断を受け、「めまいがする」というイチローはコメントしている。

心配されたものの、雨天中止となった翌日を挟んだ、翌々日の試合には先発出場。いきなり3安打を放ち、周囲を驚かせた。その後もイチローの調子が落ちることはなく、シーズン最多安打を更新するに至った。

胃潰瘍・ふくらはぎ痛…2度の離脱を経験した2009年


そして2009年、イチローは日本代表としてWBC2連覇に貢献した。しかし、イチローが後に「『命を削る』という意味を始めた知った」と語ったように、重圧は計り知れないものだった。
その影響もあってか、レギュラーシーズン開幕前のオープン戦で、体調不良を訴えて途中交代。出血性胃潰瘍と診断され、メジャー9年目で初のDL(故障者リスト)入りとなり、開幕8試合を欠場した。


そして同年8月23日のインディアンス戦では、左ふくらはぎの張りを訴え途中交代。この影響により、胃潰瘍時と同じく8試合を欠場している。
また、この怪我の際には「(故障する)前の晩に、ボルトに走り方を教えてもらってる夢を見たんですよね。で、その翌日そのイメージで走ってたのかなあ」という名(迷?)コメントを残したことでも話題になった。

ヤンキース時代は腰痛による離脱も


2012年のシーズン途中からはニューヨーク・ヤンキースへと移籍したが、ヤンキース時代の2014年、怪我の影響で欠場を余儀なくされたことも。
2014年5月11日のメッツ戦でスライディングキャッチを試みた際、膝が芝生に引っ掛かってしまい、前のめりに転倒。腰を痛めてしまった。イチロー自身も芝生に引っ掛かることは想定していなかったらしく、「きょうは予期せぬことが起こっているので」と語った。

一時はスイングができないほどだったらしいが、長引くことはなく、4日後には全体練習に合流している。

イチローの凄すぎるプロ意識


ここまでイチローの怪我の歴史を見てきたが、日米キャリア26年目であることを考えると、異常なまでの少なさである。特にメジャー時代に至っては、大きな故障をしたことがない。

これはひとえにイチローの怪我を予防するための意識が強いことが挙げられるだろう。試合中、怪我のリスクが高いヘッドスライディングやダイビングキャッチをしないことはもちろん、試合以外でも腰に負担がかかることを避けるために、ソファではなくパイプ椅子を使うなど、徹底した準備を怠らない。


そんな準備があったからこそ、「レジェンド」と称されるほどの実績を残せてこれたのだろう。

※イメージ画像はamazonよりイチロー「10年物語」 (集英社ムック)
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