恋愛における告白の瞬間というのは、独特の緊張感が漂うもの。そこに、予定調和など一切ありません。
あるのは、リアルな人間ドラマのみ。その生々しくも初々しい本音のやり取りには、人の心を惹きつけてやまない、強力な磁場のようなものが働いているといえるでしょう。

さて、そんな素人同士の告白シーンを、『あいのり』や『テラスハウス』のようないわゆる「恋愛バラエティ」で、私たち幾度となく目撃してきました。しかしおそらく、将棋の解説番組で生告白したのは、この一件が、空前にして絶後ではないでしょうか。

第64期名人戦の解説番組で事件は起きる


事件が起きたのは、2006年に放送された第64期名人戦の解説番組において。名人戦とは、80年の歴史をもつ将棋界の頂点を決める7番勝負のこと。棋士にとって、もっとも栄誉あるタイトルの一つであり、その第1局目で解説・聞き手を務めたのが、今回紹介する事案の当事者、山崎隆之八段(現在)と女流棋士の矢内理絵子です。

2人のプロフィールを簡単に紹介しましょう。山崎八段は、1981年生まれの現在36歳。17歳でプロデビューして以降、2000年に新人王戦で優勝(10代では史上3人目)、2002年から2003年にかけては、歴代3位となる22連勝を記録、2004年にNHK杯優勝……といったように、早くから華々しい実績を重ねる、若手のホープ的存在でした。

聞き手役の矢内理絵子女流は、山崎八段よりも1つ上の現在37歳。最優秀女流棋士賞を2回(2005年度、2006年度)獲得するなど、こちらも、若手時代から将来を嘱望された棋士の一人。加えて、控えめな中にもたおやかな美を湛えたその容姿から、男性ファンも数多く存在するアイドル棋士でもありました。


急な告白……スタジオは微妙な空気に


ちなみに、山崎八段という人は、冗談好きで、時に過激なジョークも飛ばすようなノリの良い好青年です。その飄々とした人柄は、対局スタイルにも表れており、序盤からあまり王将を囲わないという、かなり危なっかしい戦法をとることでも有名。
その独特な棋風は一部ファンから“チョイ悪”と称され、人気を博しているとのことです。そのリスクを省みずに攻め込む勝負師としての姿勢が、災いしてしまいます。

くだんの番組で生放送の解説中、矢内女流が「断言してしまって大丈夫ですか?」と質問。これを受けた山崎八段は「大丈夫です。これ次の一手だったら、ね、本当…」「これで当らなかったら、もう、ね…」と何やら、煮えきりません。会話における“次の一手”を出しあぐねているかのようです。変な緊張感が2人の間に生まれます。
しかし、次の瞬間「…矢内さんは諦めます」と急に告白。「何言ってるかよく分からないです…」「僕もよく分からないです」と、2人とも苦笑い。なんともいえない空気がスタジオに流れます。

結婚発表の矢内女流に対して「あきらめます!」


実はこれ、山崎八段のジョークだったのだとか。
しかし、山崎八段の想いを伝える寸前の間のとり方や、矢内女流の照れくさそうに笑う仕草は、なんともリアル過ぎました。
この“公開生恋活”は当然、視聴者を中心に話題沸騰となり、ネットでも幾度となくネタとして取り上げられました。

なお、この騒動には続きがあります。生放送から6年半後の2013年、矢内女流は結婚を発表。お相手は30代の精神科医。ファンレターをきっかけに、交際へ発展したそうです。
結婚発表の直後に行われた、矢内女流も出場する第3期女流王座戦の前夜祭。プレゼンターとして登場したのは、誰あろう山崎八段でした。かつて冗談とはいえ好意を伝えた過去の想い人へ花束を贈呈し、壇上で口にしたのは、あの日、スタジオで失笑を買ったあの一言。

「あきらめます!」

この日をうってかわって、会場中が万雷の拍手と笑いに包まれたのは言うまでもありません。
(こじへい)
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