しかし、1992年6月公開の映画『ぼく東綺譚』("ぼく"はさんずいに"墨")で大役に抜擢されて話題を呼んだ墨田ユキ(当時24)はその逆。
大河ドラマ出演もしていた
“墨田ユキ”は前述の映画『ぼく東綺譚』から取った芸名だ。1980年代は別の芸名でセクシー女優として活動していた。
芸能界へのデビューは、1980年代の終わりにレースクイーンとして活動したことがきっかけ。芸能界デビュー後、まだ世間にそれほど名を知られていなかったものの、NHK大河ドラマ『武田信玄』(1988年)や『春日局』(1989年)などにも出演していた。
女優としてさらなる飛躍!
そんな彼女がさらに大きな注目を集めたのは1992年のこと。映画『ぼく東綺譚』の主要キャストの座をオーディションで勝ち取ったのだ。
『ぼく東綺譚』は、彼女にとってまさにターニングポイントとなった。それまでも大河ドラマに出演していたとはいえ、多くの出演者のうちの一人。
しかしこの映画での演技が評価され、ブルーリボン賞をはじめ8つもの新人賞を獲得。その存在感をまたたくまに示すこととなった。
津川雅彦も舌を巻く演技
この映画で監督を務めたのは、新藤兼人氏だ。新藤監督は、別名“脱がせ屋”とも称されるとおり、“濡れ場”が多いことでも知られる。『ぼく東綺譚』も全編の3分の1以上がカラミシーンという作品だ。
その作品にあって墨田は前バリなしで熱演。ラブシーンの大胆さには、共演陣も舌を巻いたという。そのうちの一人が相手役の津川雅彦だ。この、多くのベッドシーン経験がある百戦錬磨のベテラン俳優をして「あのコの度胸にはまいった。久しぶりにタジタジになっちゃったくらい」と言わしめたほどだ。
濡れ場以外の演技力も見事なものだった。妖艶な色気とは裏腹の、どこかはかなげな様子は観る者の目をくぎ付けにした。
一躍メジャーの世界で輝きを放つようになった墨田はその後、2時間ドラマの主役をつとめるほどに。バラエティ番組などにも出演するようになった。
しかし94年ごろからは、マスメディアの前にほとんど姿を現さないようになり、現在は事実上の引退状態となっている。
(せんじゅかける)