のび太がピンチのときには、未来からやってきたドラえもんが秘密道具を使って助けてくれる。
その作者、藤子・F・不二雄(本名:藤本弘)が亡くなったのは11年前の1996年のことだった。『クレヨンしんちゃん』の作者・臼井儀人にせよ、『サザエさん』の作者・長谷川町子にせよ、その死は子どもたちのみならず、その作品を愛するすべてのファンにショックを与える。
藤子不二雄Aとの名コンビ
藤子・F・不二雄といえば、藤子不二雄A(本名:安孫子素雄)とのコンビ“藤子不二雄”でもよく知られる。
創作活動をスタートさせた時点から長らく、二人でのコラボレーション活動を続けていた。
二人の出会いは小学生時代までさかのぼる。意気投合した二人は、二人三脚でマンガ制作をスタート。1951年にコンビ結成すると、87年にコンビ解消に至るまで長らく人三脚で活動していた。
共作の代表作としては、『オバケのQ太郎』が良く知られている。
また、共著の他にも、両者にはそれぞれ代表作がある。藤子・F・不二雄は先述の『ドラえもん』をはじめ、『パーマン』『キテレツ大百科』など。そして藤子不二雄Aの代表作としては、『忍者ハットリくん』『怪物くん』『笑ゥせぇるすまん』などが挙げられる。
スランプ期での『ドラえもん』連載だった
藤子・F・不二雄の代表作となった『ドラえもん』であるが、執筆前まではスランプに陥っていたという。
実際に『ドラえもん』も連載開始当初は人気はイマイチであり、日本テレビ系列でアニメ化されるも半年ほどで終了している。
しかし、単行本が発売されるとこれが大ヒット。再び79年にテレビ朝日系列でアニメ化され、現在まで続く大人気アニメとなったのだ。
マンガに捧げた藤子・F・不二雄の生涯
しかし漫画『ドラえもん』の連載は突如として終わりを迎えた。1996年の初秋のある日、自宅の作業場で執筆していた藤子・F・不二雄。部屋出てこない藤子を心配した家族が部屋を覗いたところ、意識を失っている彼の姿があった……。
ちょうど『ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記』を創作している最中のことだったという。家族が発見したとき、藤子は鉛筆を握ったままうつぶせになっていたそうだ。
意識が戻ることなく、3日後の9月23日に死去。享年62。『ドラえもん』の最終回を描くことなく、旅立ってしまった。
しかし藤子・F・不二雄は最期まで漫画に人生を捧げ、多くの子どもたちに夢と勇気を与えたのだ。
藤子先生の死去後もアニメや映画等で続く『ドラえもん』。
(せんじゅかける)
※文中の画像はamazonよりドラえもん物語 ~藤子・F・不二雄先生の背中~ (てんとう虫コミックススペシャル)