当時、この公演で『うさぎ』という楽曲の次に、『おふくろさん』が歌われる予定だったのですが、どうもスムーズに繋がりません。そこで考案されたのがくだんの一節であり、作曲は猪俣公章(『おふくろさん』の作曲者)、作詞は舞台の構成演出をしていた保富康午が担当。
以降、テレビなどでも度々森は、このフレーズ入りで『おふくろさん』を歌うようになります。
さらに、当時所属していた事務所の賛同を得て改変に踏み切ったということも、森が強気に出られた根拠となっていたのでしょう。
森進一、青森の川内邸へ謝罪行脚
けれども、あまりに激高する川内の姿に、事態の深刻さを悟ったのか。森は一転、全面的に自分の非を認めます。
そして、川内に謝罪するべく、一路、青森県・八戸市の川内邸へ。
しかし、テレビクルーを引き連れての謝罪旅だったこと(「みちのくお詫び旅」とマスコミに揶揄された)、カメラが見守る中、持参した「とらやの羊羹」を留守中の玄関前に置くという、パフォーマンスじみた詫び入れをしたことが、またもや川内の逆鱗に触れてしまいました。
「三文芝居」「もう二度と会わない!」と、火に油を注ぐ結果となってしまったのです。
JASRACって大御所の権利は守るんだね
レベルの低い話。
まだ他人の痛みを知らない子供のケンカみたい。