無理もありません。当時のTKといえば、東京パフォーマンスドールのポンコツアイドルだった篠原涼子をダブルミリオン歌手に仕立て上げ、2流グラドル・遠峯ありさを女子高生のアイコン「華原朋美」に生まれ変わらせ、既にSUPER MONKEY'Sとしてプチブレイクしていた安室奈美恵を、社会現象レベルの歌手へ特進させたのですから、その手腕は本物。というか、神がかり的です。
かつて、プロ野球の野村克也監督が、伸び悩む若手や全盛期を過ぎたベテランを次々と復活させたことから、「野村再生工場」と呼ばれていましたが、TKはその音楽版。さながら「小室再生工場」とでもいうべき、彼の神通力にあやかろうと、少女たちは列をなしていたのです。
25,929名もの応募者が殺到した『コムロギャルソン』
そんなコムロフィーバー全盛期に開催されたのが『コムロギャルソン』でした。これは、オーディションバラエティ『ASAYAN』内で、1995年10月の番組開始と同時にスタートしたオーディション企画。
当時、イケイケだったTKプロデュースのもと歌手デビューできるとあって、全国からのべ、25,929名もの応募者が殺到します。
スタジオでは若き日のナインティナインと、ナンシー関から「絵に描いたような(小室の)腰巾着」と称されたTKの右腕・久保こーじ司会のもと、応募者の生歌などが披露されたものです。