『イグアナの娘』の原作者・萩尾望都が漫画家の道を志した裏には、実母への苛烈な愛憎があったといいます。
萩尾の母は典型的な教育ママだったらしく、幼い頃は「勉強しろ」「成績の悪い子とは付き合うな」「教科書以外の本は読むな」と四六時中追いつめられたとのこと。


このときに感じた母への嫌悪感から、萩尾は学力競争がない漫画家の世界を目指したのであり、この体験が名作『イグアナの娘』のベースになったというわけです。

当時18歳の菅野美穂が主演したドラマ『イグアナの娘』


1996年に、菅野美穂主演で連続ドラマ化された『イグアナの娘』(テレビ朝日系)。物語は、青島正則(草刈正雄)・ゆりこ(川島なお美)夫妻の間に、一人娘・リカ(菅野美穂)が誕生するところから始まります。

リカは誰が見ても可愛らしい女の子なのですが、ゆりこにだけはイグアナにしか見えません。リカも物心ついたころから、鏡に映った自分がイグアナに見えてしまい、ショックを受けます。
醜さゆえに、リカを冷遇するゆりこ。そんな妻を、娘が普通の女の子に見える正則は理解できません。
そして自身の顔にコンプレックスを抱き、母から冷たく叱責され続けてきたリカは、人間関係に臆病な女性へと育っていくのです。

「取り憑かれたように執筆していた」という脚本家


萩尾の原作は50ページにも満たない短編だったのですが、これを全11話に及ぶ長編へとつくりかえたのは、ほとんど脚本家・岡田惠和の力技。当時「取り憑かれたように執筆していた」という岡田は後年、自著の中でこう語っています。

「原作は、短いもので、ドラマでいうと、一話の前半と、最終回のエンディングといった感じ。連続ドラマとしてはあまりにも要素が足りなかったのですが、全然迷うことなく、膨らませていくことができました。(中略)こうした方がいいんじゃないか、とかいうのではなく、「だって、こうなんですよ」という風にしか言えない。まるでこうなる運命であるかのように、新しい登場人物や、エピソードが加わっていきました。」(『ドラマを書く すべてのドラマはシナリオから始まる…』より一部抜粋)

よく漫画家が、「キャラが勝手に動いた」などと表現したりしますが、まさにそれに近い感覚で、次々とアイデアが浮かんでいったことがうかがえます。


「毒親」「児童虐待」をいち早くテーマにしていた


このドラマの中心人物は、まぎれもなく、リカとゆりこです。

娘・リカは、母から愛されたいのに愛情を注いでもらえません。対して、母・ゆりこは、娘を愛したいのに愛することができません。
血と血で繋がった分身のような相手から愛されない、相手を愛せないというのは、自分の存在を否定されている(している)のと同義。そんな苦しみから救われるべく、母と子が互いに和合しようとすることこそ、この物語におけるカタルシスなのです。

岡田は、そんな原作の意図を丁寧にくみ取り、2人の救済に向けて、必要な登場人物と挿話を組み込み、物語を再構築したというわけです。

そのストーリーにおいて表現される心理描写は実に見事。

リカが互いに惹かれ合うボーイフレンドの昇(岡田義徳)や、生まれて初めての親友・伸子(佐藤仁美)との関わりを通して、「自分が人から必要とされる」ことへの悦びを少しずつ見出して行く。
一方のゆりこは、長女とは違って普通の人間に見える次女・まみ(榎本加奈子)を溺愛することで、より一層、リカを愛せない自分への嫌悪を強めていく……。

単純な勧善懲悪モノではなく、どちらの感情にも寄り添って物語を描いていたからこそ、『イグアナの娘』は後世に残る名作となったのでしょう。菅野と川島の演技も、実に素晴らしいものでした。

右肩上がりに増加する虐待通告件数


なお、皮肉なことに、このドラマの放送があった1996年頃より、児童相談所へ寄せられる虐待通告件数は右肩上がりに増加していきます。
統計が初めて取られた1990年の通告件数は1101件だったのに対し、2015年度は、なんとその100倍以上にあたる10万3260件(厚生労働省調べ)。


その約半数近くが「お前なんか生まれてこなければ良かった」「お前さえいなければ家族は幸せなのに」といった「心理的虐待」なのだとか。わが子を愛せない親と、愛されない子が多い今の世の中にこそ、『イグアナの娘』は必要なドラマなのかも知れません。
(こじへい)

※イメージ画像はamazonよりゴールデン☆ベスト 菅野美穂