
2017年5月14日放送の『ワイドナショー(フジテレビ系)』にゲスト出演していたタレントのデヴィ・スカルノ氏が、同性婚に対して明確に反対の意を表明したことが話題になっているようです。
番組内で2015年に挙式を行った一ノ瀬文香氏(タレント)と杉森茜氏(ダンサー)のレズビアンカップルが破局したというニュースがトピックの一つとして取り上げられ、デヴィ氏は「自然の摂理に反する」としてこれを全面的に否定しました。
結婚制度自体が自然の摂理に反している
私も番組を拝見しましたが、同性婚反対の論理的根拠は穴だらけでした。デヴィ氏は「自然の摂理に反するから」という理由をあげていますが、そもそも「自然の摂理」とはいったん何でしょうか?
彼女は「お花に雌しべと雄しべがあるように、動物に雄と雌があるように、人間にも男と女がある」と述べていますが、人間以外の動物にも同姓愛が確認されています。同姓愛自体が自然の摂理です。
「同性愛は認めるが同性婚は認めない」というのが彼女の考えのようですが、人間以外の動物たちは役所に婚姻届を提出せずに子供を作るわけであり、全て事実婚です。となれば、婚姻届を提出しなければ結婚ができないという人間が作った婚姻制度こそ自然の摂理に反するのではないでしょうか?
日本が不妊大国と化したのは“老害”が原因
彼女は「結婚というのは子孫を残すこと」とも述べていましたが、子孫を残すことはあくまで子孫を残すこと、つまり生殖活動と子育て活動そのものであり、結婚は人類が社会の効率的な運営に合わせて便宜上発明したものに過ぎません。たとえば、結婚という概念が無く、乱婚という配偶システムを採用したとしても子孫を残すことは可能です。
逆に異性間であっても、不妊が原因で子供ができない人々のように、「子孫を残さない結婚」も当たり前に存在します。我が国の首相夫妻もそのうちの一組とのことですが、デヴィ氏は彼等の前で「結婚というのは子孫を残すこと!」と堂々と言えるのでしょうか?(仮に言ったとすれば人として神経を疑いますが…)
日本では不妊に対する悩みが膨れ上がり、不妊治療の先進国と言われるまでに医療技術が発達しているわけですが、それは「結婚=子孫を残すこと」という考えを持つ人々による強い抑圧と偏見があるからでしょう。それゆえ「できない時はディンクスで良いよね」とは思えず、「養子縁組で良いよね」とも思えない人が多いわけです。
「不妊は子孫を残そうと思っても残せなかったという例外」という反論が返ってきそうですが、子育てを終えた女性と男性が再婚することも多々あります。それこそ子孫を残す意図が無い結婚です。「結婚=子孫を残すこと」という論拠で同性婚を否定するなら、彼等の結婚も否定しなければ辻褄が合いません。
このように、既に異性愛者同士の結婚でも、子孫を残すこととは関係の無い結婚がこの社会にはありふれています。つまり、「お互いの精子と卵子でもって子孫を残すことではないけれど結婚したい」と願う気持ちが、セクシャリティーに関係無く、人として当然の感情として溢れているわけです。
自然の摂理に反して何がいけないの?
そもそも、仮に自然の摂理に反することであっても、それは必ずしもいけないことなのでしょうか?
電気を使って夜に活動することも、空調を使用することも、薬を使って病気を治すことも、品種改良によって美味しいブランド米を作ることも、全てが自然の摂理に反することです。彼女は「だってそんなこと(同性婚を認めること)したら自然の摂理、めちゃくちゃになる。なります絶対に」とも述べていましたが、文明を有した人類が地球上に存在する限り、自然の摂理は既にめちゃくちゃです。
今、私たち人類の生活があるのは全て自然の摂理に反することをしているからであり、自然の摂理に反するという論拠で何かに反対ができるのであれば、有史以来人類が構築した文明生活全てを放棄しなければなりません。もちろん環境破壊や公害等に関してはなるべく減らし、行き過ぎた開発を中止して緑に戻す活動を拡大さなければなりませんが、それは程度の問題でしょう。
一方、自然と人工の境目は所詮不明確なものです。たとえば、自然あふれる里山の雑木林も人が手を加えて維持できているものですし、人工林の増加によって人々が苦しむようになった花粉症は「公害病」の一種とも言えなくないわけです。「自然か人工かを分けて善悪を決める」という発想自体が誤りです。
非科学的な“生物学的法則”を妄信する「オーガニック右翼」
生物とは元来多様性あふれるものです。とりわけ有性生殖は多様な個体を生み出すために考えられた繁殖方法であり、全ての個体、私たち一人ひとりが自然そのものです。
にもかかわらず、彼らはそれを理解することなく、「自然の摂理はこうだから」「通常、生き物はこうだから」「雌雄や男女はこうすることが本能だから」という科学的信憑性の無い独自の“生物学的法則”を見出して、それを論拠に多様性を否定する。そのような人々を私たちは皮肉を込めて「オーガニック右翼」と呼んでいます(逆に子供の予防接種を拒否する等の行動に出る「オーガニック左翼」もいます)。
このような「オーガニック右翼」は、とりわけ高齢者に多い傾向にあります。たとえば、『朝日新聞』が5月2日に公表した世論調査では、同性婚に対して認めるべきか否かについて質問をしており、18歳~29歳では同性婚賛成74%に対して反対18%、30代でも賛成71%に対して反対21%となり、若い世代で賛成が多数を占める一方、70歳以上は賛成24%に対して反対63%と完全に数字が逆転しています。
デヴィ氏(77歳)のようなオーガニック右翼思想は、おそらく彼女と同世代の人々の間ではスタンダードな考えだと言えるでしょう。今回は同性婚がテーマですが、夫婦別姓やPACS(連帯市民協約)に対する考えも同様で、基本的に年齢が上がるほど結婚に対して「こうあらねばならない」という意見が多数を占める傾向にあります。制度的な面に限らず、「子育ては母親の役目。それが母性というものだから」のような文化的な面に関しても同様です。
結婚離れの背景に「オーガニック右翼」あり
「若者の結婚離れ」を嘆く高齢者は少なくありませんが、これから「結婚をする」ということの当事者になる人も多い若者世代が容認する多様な結婚の形が、大半の人は既に当事者ではない高齢世代によって容認されないとも言える状況であり、結婚離れが進んでも当然ではないでしょうか?
そもそも結婚に関して賛成意見と反対意見が同列のように扱われていること自体がおかしいことだと思います。両者の利害が明確に対立する問題ならば賛否が同列でも分かりますが、結婚はパートナー同士のプライベートな問題であり、当事者以外の他人は基本的に部外者です。そのような部外者が「認めない!」と口を出して他人の自由に踏み入ることは「封建的」であり、自由を重んじる文明社会に反したことと言えます。
同性婚はもちろんのこと、全てのパートナーシップが部外者によって自由を侵害されず、自分たちの意思で選択できる社会にしたいものですね。
(勝部元気)