ところで最近の知事の顔ぶれを振り返ると、橋下徹氏(大阪府知事)や東国原英夫(宮崎県知事)、石原慎太郎、猪瀬直樹(東京都知事)など、著名人が就任するケースが目立つ。
そんな「タレント知事」ブームの始まりと言えるのが、1995年。東京、大阪の両方で芸能界出身者の知事が誕生した。
「超マルチタレント」青島幸男が都知事に
東京都知事に就任したのは、青島幸男。青島は作詞家として『スーダラ節』『明日があるさ』などのヒット曲を手掛けたり、俳優として『意地悪ばあさん』で主演を務めたり、『人間万事塞翁が丙午』が直木賞を受賞したりと、「超マルチタレント」だった。
政界へ進出したのは1968年。長らく参議院議員として活動していた。
そして1995年、参議院議員を辞職し、東京都知事選挙に出馬することを表明する。このときの都知事選には、10年弱内閣官房副長官を経験し、自民党など4党の推薦を受けていた石原信雄も立候補しており、下馬評ではこの石原氏が当選確実と目されていた。
他にも大前研一氏などが立候補していたこともあり、泡沫候補とささやかれていた青島。ところが、青島が芸能活動で得た人気や「世界都市博覧会の中止」という目玉公約が評価されたのか、ふたをあけてみれば170万票以上を獲得する圧勝劇であった。
しかし都知事としては、都市博覧会を中止したこと以外に目立った功績を残すことができなかった。有権者からの批判も高まり、1期を務めたのみで知事を退任することになった。
横山ノックの栄光と転落
そしてもう一つの大都市、大阪府の知事には横山ノックが就任。
横山ノックは上方の大御所漫才師として知られる一方、青島と同じく68年の参院選で当選し、議員としても活動していた。
そして1995年、大阪府知事に立候補し見事当選した横山。
当初、横山には冷ややかな目もあったが、既成概念にとらわれない施策の数々は、次第に府民からの信頼を得るようになる。二期目の椅子を賭けた1999年の知事選では、他政党が対立候補を擁立せず、新記録となる得票数で当選した。
そんな絶頂期にあった横山であったが、政治生命にかかわる事件を引き起こす。なんと選挙活動に協力していた女子大生がセクハラ行為を受けたと告発し、大スキャンダルへと発展。
結果的に知事を辞職するとともに、古巣である芸能界からも実質追放となってしまった。
有権者としては、今までの人気に惑わされるのではなく、しっかりと政策面などを見た上で投票したいものだ。
(せんじゅかける)
※文中の画像はamazonより明日があるさ-青島幸男作品集-