
最近、バラエティ番組にも数多く出演している梅沢富美男(うめざわとみお)。
そんな梅沢だが、本職は大衆演劇の舞台に立つ名女形。
人気大衆演劇一座の一家に生まれ『夢芝居』で紅白に
梅沢富美男はもともと、大衆演劇一座の座長役者の父と娘歌舞伎出身の母との間に生まれた、根っからの“大衆演劇人”である。兄弟は全部で8人。梅沢は第7子、5男として生まれた。
そんな梅沢は幼いころから舞台に立っていたが、当初は男役専門だった。10歳年の離れた兄・武生が座長になった後、その兄の勧めで女形に転身した。
自分なりに女形の美しさを追求するなかで、試行錯誤を重ねながら梅沢流女形スタイルを確立し、一躍人気者に。いつしか歌舞伎役者の坂東玉三郎を引き合いに、下町の大衆演劇No.1の女形として“下町の玉三郎”と呼ばれるようになった。
マスメディアで“梅沢富美男”の名が広まったのは、1982年のこと。作詞・作曲小椋圭による『夢芝居』を発表し爆発的な大ヒットとなったのがきっかけだ。1983年には同曲で『紅白歌合戦』に出場。徐々にテレビへの出演回数も増えていった。
梅沢富美男を変えた出来事
梅沢は当初、バラエティ番組への出演をかたくなに断り続けていたという。並みいる高学歴コメンテーターがいるなかに中学しか出ていない自分がいてもしょうがない、というのがその理由だった。
しかしあるとき、そんな梅沢の意識を180度転換させる出来事が起きる。
それは、妻や義母らの言動だった。彼女たちは、テレビの画面に向かって好き勝手に罵声を浴びせていたのだ。
この様子を見て梅沢は「彼女らの代弁なら出来る」と思ったという。
その梅沢の予感どおり、自身の"毒舌"はテレビ界で求められた。
ある調査によれば、梅沢は特に高年齢層からの支持が高く、シニア層をターゲットに据えたバラエティ番組のプロデューサーから“使いたいタレント”No.1と目されているとか。高齢者の気持ちを代弁し、共感を得やすいというのがその理由らしい。
梅沢富美男がテレビに出続ける理由とは?
とはいえ、梅沢の本業は大衆演劇。そんな彼はなぜテレビに出演し続けるのだろうか。今年2月放送の「中居正広の金スマスペシャル」でその真相を語っている。
梅沢によると、2011年の震災以降、イベンターが自粛して大衆演劇の公演数が激減。そのため、自身が座長を務める劇団のメンバーを養うことが厳しくなっていったという。
"毒舌キャラ"であるが、テレビに出続けているのにはこんな劇団員想いの理由があったのだ。
(せんじゅかける)