大リーグの元本塁打王が東京にやってくる。

マジかよ? マジだよ。
あのジェシー・バーフィールドが巨人と契約したらしいぞ。野球ファンの間にそんなニュースが駆け巡った92年秋、巨人は嵐のようなストーブリーグを過ごしていた。

開幕を間近に控えたJリーグ人気に対抗して、長嶋茂雄が電撃的に監督復帰。ドラフトではミスター自ら松井秀喜を引き当て、ヤクルトから息子の一茂まで金銭トレードで獲得成功。
さらに、補強の目玉として1年契約の年俸170万ドル(当時のレートで約2億2000万円)でバーフィールドと契約を交わした。

「ファミスタ」に登場していたバーフィールド


もちろん当時は日本人メジャーリーガーも存在せず、今ほどMLBは身近ではなかった。でも野球ファンはバーフィールドの名前はよく知っていた。
なぜなら『プロ野球ファミリースタジアム’87』最強チームのメジャーリーガーズに「打率.320、50本」の『ばふい』という選手がいたからだ。もちろん“ばふい”とは86年にトロント・ブルージェイズで本塁打王を獲得したバーフィールドのことである。

86年シーズンは率.289、40本、109点の好成績に加え、外野守備ではメジャー屈指の“バズーカ”と称された強肩を武器にシルバースラッガー賞とゴールドグラブ賞を同時受賞。89年ニューヨーク・ヤンキースへ移籍し、90年には25本塁打。まさに数年前まで世界屈指の外野手だった右の大砲が日本球界へやってくる。

ここで右手首の故障で手術したばかりでしょなんて、冷静な突っ込みは野暮だろう。
長嶋監督もデトロイト・タイガースのスパーキー・アンダーソン監督に直接電話をかけて「スパーキーも手首が大丈夫ならかなりやるぞ、と言っていましたねぇ」とその活躍に強引に太鼓判。

まるで映画……サプライズ満点の巨人入団


いざ元メジャーのスーパースターが東京ジャイアンツへ。その姿は当時公開された映画『ミスター・ベースボール』で描かれる元ヤンキースMVPプレーヤーで中日ドラゴンズへ入団するジャック・エリオット(トム・セレック)を彷彿とさせ話題となった。つまり、まるで映画のようなサプライズ満点の巨人入団だったわけだ。

ちなみに元チームメイトで「ブルージェイズ最高の外野トリオ」を組んでいた盟友ロイド・モスビーも前年から巨人入りして活躍。今思えば、とんでもなく豪華な助っ人陣である。
強引に現在に例えると、ブルージェイズの主砲ホセ・バティスタとジョシュ・ドナルドソンが数年後にNPBの同一球団でプレーするようなものだ。

1年限りで退団したバーフィールド


来日したバーフィールドは東京・広尾の自宅マンションで熱心に日本の投手を研究。セ・リーグの投手を収めた15本のビデオを繰り返し観続けたという。
すると開幕戦では横浜の佐々木主浩から、いきなりレフトスタンドへド迫力の一発を叩き込む最高のデビュー。守ってはメジャーで7年連続二ケタ捕殺を記録した規格外の強肩を度々披露。

さすが元大リーガーと日本の野球ファンを驚愕させたが、その後は執拗な変化球攻めに苦しみ、終わってみれば率215、26本、53点、127三振という期待外れの成績を残し1年限りで退団した。直後に「ヤクルト野村監督が獲得を熱望」とスポーツ新聞では報じられたが実現ならず。

『ファミスタ87』に登場した往年の“ばふい”はもうそこにはいなかった。


1993年は「最後の昭和のプロ野球」が体感できた?


この『ベールを脱いだ怪物バーフィールドの凄味』特集を展開している93年開幕直前発売の週刊ベースボールでは、『実現へ急ブレーキがかかったFA制の陥った「迷路」』という記事も掲載されている。

当初は1000試合出場選手にもFA権を与えてはどうかという案が飛び出し、石毛、伊東、辻、平野、工藤、渡辺久信、秋山、そして8年目の清原も対象になるため、当時の西武堤オーナーは「ライオンズが草刈り場になる」と、ドラフト制廃止を目論む巨人ナベツネさんと手を組み共闘モード。
だが結局、細部を調整し、この93年オフからFA制度開始。翌94年オフには野茂英雄がメジャー移籍を目指すことになる。

いわば本格的に「平成のプロ野球」に突入する直前、長嶋監督の復帰や元大リーグ本塁打王来日で能天気に盛り上がっていた93年は「最後の昭和のプロ野球」が体感できた1年だったのかもしれない。

個人的に“ばふい”と言えば、あの有名な炭酸飲料のイメージが強い。元世界屈指のスラッガーは当時のインタビュー等で度々「三ツ矢サイダー」好きを公言。

「この味は向こうにはないね。アメリカに戻る時は必ずまとめて買い込んでいくよ」

そのハマり方はリップサービスではなくガチで、販売元のアサヒビールから公式戦1号本塁打を放った日に1年分(365本)をプレゼントされたという。

今でもコンビニで三ツ矢サイダーを見かける度に、24年前の懐かしの助っ人スラッガーのことを思い出す。
(死亡遊戯)


(参考文献)
『週刊ベースボール』1993年4月19日号(ベースボール・マガジン社)
編集部おすすめ