これは、イケメン芸人・ベイビーギャングの北見が無免許運転で所属事務所をクビになった際、ラジオでナイツ塙が述べた一言です。
塙曰く、「面白いやつのみが生き残れるのではなく、面白さ以外に価値を持つ“イケメン芸人”がのさばるようでは、お笑い界の秩序が乱れる」とのこと。
しかしながら、顔の良さを売りにする芸人の寿命が長くないということは、歴史が証明しています。その好例ともいうべき存在が、本稿で紹介する『グレートチキンパワーズ』です。
『元気が出るテレビ』がきっかけでデビュー
グレートチキンパワーズは、大阪府立箕面高等学校の同級生だった北原雅樹と渡辺慶による2人組のお笑いコンビ。
デビューのきっかけとなったのは、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』のお笑い甲子園全国大会。同コンテストに出場した2人は優秀賞を受賞し、1994年、芸能界入りを果たします。
2人とも当時は18~19歳そこそこ。改めて昔の写真を見てみると、それほどイケメンではありません。けれども、フレッシュさと髪型、アングル・照明の妙などで、なんとなくカッコよく見えます。
“雰囲気イケメン”という言葉が当時存在していたならば、真っ先にその代表格として語られていたことでしょう。
雑誌『明星』の表紙にも起用された
そんなイケメン芸人……というよりも、“お笑いもやってるアイドル”的立ち位置だった2人は、早くからテレビへ引っ張りだこに。
特筆すべきはドラマ出演の多さ。しかも、民放ゴールデンタイムの作品で、何度もそれぞれが主要キャストを張るという、新人としては破格の厚遇を受けていました。
また、有名雑誌でも頻繁に特集が組まれ、アイドル雑誌『明星』の表紙にも起用されるなど、このまま一気に天下を取ってしまいそうな勢いがあったものです。
作詞・作曲も手掛けたデビューシングル『MIX JUICE』
古くから芸能界に伝わる、“売れてるタレントはとにかくCDデビューさせとけ”的風習。グレチキもそのセオリー通り、1995年1月にシングル『MIX JUICE』で歌手業へ進出。
この手のコミックソングは駄作も多いですが、「まぜまぜよ~ミックスジュ~ス♪」というキャッチーなフレーズがなんとも耳に残るノリノリな同曲は、デビューシングルにして30万枚の売り上げを記録。
加えて、同年6月には『MIX』という7曲入りのアルバムをリリースし、こちらも全10曲すべてグレチキが作詞・作曲を務めるという、万能クリエイターっぷりを披露してみせます。
『オンエアバトル』で100人の観客から1票も入らず……
こうしたドラマに雑誌、楽曲作りにと多彩な活動を展開していたグレチキでしたが、肝心のお笑いはというと、かなり微妙。ネタ見せ番組にも幾度か出演していたものの、“副業”ほどのインパクトは残せていません。
今も語り継がれるエピソードが、『爆笑オンエアバトル』ボール0個事件。2000年に出場した同番組においてネタを披露するも、100人の観客から1票も入らないという散々な結果に終わってしまったのです。
3ヶ月後に再チャレンジするも、やはりオンエアはならず。
結局、デビューから2~3年が人気のピークで、以降は瞬く間に失速していったグレートチキンパワーズ。2005年9月には解散し、渡辺は脚本家、北原は俳優として、それぞれ別々の道を歩んでいるそうです。
まだ2人とも40歳になったばかり。芸人としての寿命は短かった分、今の仕事では末永く活躍できることを祈るばかりです。
(こじへい)
※イメージ画像はamazonよりMIX