甲子園でのプレーは緊張よりも楽しかったと振り返る強心臓の高校球児も人の子だ。
地元の大工のおっちゃんに頼み込んで打撃練習をしたり、唯一の実戦は草野球チームに混じってのプレーだったりという驚くべき環境。まずは周りがどうこうではなく、1年間の浪人生活でなまった自分の身体を元に戻すこと。
90年秋のドラフト会議で巨人から1位指名され、2年越しで憧れのチームへの入団が叶った元木大介のプロ野球人生はそこから始まった。
モデルチェンジを模索……葛藤はあったのか?
「そうだね、感覚的に全然違ったから」
実際のところ、上宮高校時代の甲子園に出た頃の状態に戻すのにしばらく時間が掛かってしまったのか? という問いに元木大介は頷いた。
当時の巨人1軍の内野陣は、原辰徳、駒田徳広、岡崎郁といった豪華な面々。それに加えてレギュラー遊撃手には川相昌弘が定着しつつあった。
「まあ、(ルーキー時代の)自分はポジション争いなんてレベルまで達してないから。まずプロのスピードに慣れること。1年間2軍でやって、どうにかやってやろうという状態になったけど、チーム内にはホームランバッターも多いし、俺は何で生き残っていけばいいんだろうって考えてました」
1年目で現実を突き付けられ、モデルチェンジを模索する元木。甲子園では清原和博(PL学園)に次ぐ歴代2位タイの6本塁打を放ったスラッガーだ。当然、マスコミもファンも「元木=ホームラン」を期待する。そこに葛藤はなかったのだろうか?
「俺もホームラン打ちたかったよそりゃ。
それは監督やコーチにこういう選手を目指せと、指示やアドバイスをされたから?
「いや、自分で考えて。当時打撃コーチだった武上(四郎)さんに右打ちの練習をずっとしていきたいって言ってね。わりと器用な方だったから、すんなりいけたんじゃないかな」
あの落合博満も「巨人で一番素質があるバッターは元木。松井以上」と絶賛していた。
「……ありがたいですよ(笑)。それはありがたいですけど、周りが言うのは何とも思ってないんでね」
生き方とプレースタイルを変え、“クセ者”と呼ばれた男
1軍初出場は2年目の開幕直後、なんと因縁の大森剛の代走である。長距離砲への夢を捨て、先輩の2番ショート川相昌弘を参考にモデルチェンジ。
やがて、長嶋政権の大型補強時代へ突入すると、96年から3年連続でマント、ルイス、ダンカンと次から次へと助っ人三塁手を補強。毎年彼らとポジション争いをする本人は何を感じていたのだろうか?
「まあそういうチームなんだと覚悟を決めて、俺はやってたから。やっぱり巨人軍は優勝しなきゃいけない。自分が頼りないから補強するわけであって。俺が打率3割、30本塁打打っても変な助っ人が来たら納得しないけど、成績を残してないんだからしょうがないよね」
当時は内野だけじゃなく、アマ時代にまったく経験のないレフトも守った。
「だって試合に出たいんだもん。やりますって言うか、やってみますかな。レフトは本当に初めてだったから恐ろしかったけど(笑)」
なんでも来い、いつでもやってやると。やっぱりハートが強い。
「強いんじゃなくて、試合に出たいから。なんとかして出たい。今の巨人の若手にはそれが足りないと思うよ。なんとか1軍に残って、なんとか試合に出ようという姿が俺には見えて来ない」
おぉ半端ない説得力。なにせ元木が1軍定着した90年代中盤から後半は、巨人史上最も補強しまくった時代でもある。FAに助っ人、さらに元木が「うらやましいよね」と本音をチラ見せした逆指名ドラフトも全盛期だった。
「4番バッターとかスター選手ばかり来てたもんね。だから逆に生き方を変えられたんじゃない? あれだけ4番バッターが来てたら同じ場所では勝負できないって思ったもの」
生き方を変え、プレースタイルを変え、やがて元木は長嶋監督から“クセ者”と重宝されるようになる。
元木大介から見た高橋由伸
チャンスに強い打撃とどこでも守れる内野の便利屋、忘れた頃の隠し球、さらに夜はチームの宴会部長。
元木は97年以降、6年連続100試合以上出場とその地位を確立する。98年、99年にはオールスターファン投票選出。キャリアハイは98年の打率.297、9本、55打点。この年の得点圏打率.398はリーグトップの勝負強さだった。
この頃、ついにレギュラーを獲ったぞという感覚は?
「全然。オールスターも2回出させてもらってるけど、当時ジャイアンツが強くてそのおこぼれみたいなものだから。昔はオールスター休みの猛練習が本当にツラかったの。あの練習が嫌で、オールスターの試合に出なくていいから、ボールボーイでいいから連れてってと思ってたもの(笑)。テレビ見ると、みんなで楽しそうに野球やってるでしょ。あの中入りてぇなあって」
実際に出れた。自分も一流選手の仲間入りをしたという感慨は?
「ないない。全然ない。
松井秀喜と高橋由伸が若きスターとして巨人のど真ん中に君臨していた時代。そんな国民栄誉賞や現巨人監督も可愛い後輩の1人だ。今の苦悩する由伸監督をどう見ているのだろうか?
「監督という立場だから、表情がないとか喜びが薄いとか言われてるけど、プレッシャーはあるだろうし、去年なんかどうしていいか分からなかったんじゃない? いきなりだったし。俺が取材に行ったら、結構喋るよ。『元木さん横いてよ』とかって。記者が寄って来ないから。なんなんだ俺はって(笑)」
話を聞いていると、長嶋監督後期から第一次原政権の2000年代初頭の強い巨人の雰囲気を思い出す。
「松井と尚成と由伸だけだね、後輩で“ダイちゃん”なんて呼ぶのは。舐めてんだよあいつら(笑)」
「自分はクビだ」と悟った現役最終年の葛藤
やがて原政権が終わり、04年シーズンから堀内監督がやってくると徐々に出番を失い、プロ15年目の05年限りで現役引退。それにしても早すぎる。ファンはまだできると思ったが……。
「できると思ったよ、俺も」
他球団からの誘いもあった。なぜ33歳の若さで引退したのか?
「ジャイアンツでお世話になったからじゃない。
最終年は2軍生活も経験。なんで俺を上で使わないんだよとは思わなかったのだろうか?
「だって、あぁクビだなと思ったから。ベテランだったら分かるよ。そういうの、自分が若い時から見てるんだから。先輩方が辞めていく時に、なんで1軍に呼ばないんだろうと不思議に思ってたら、その年限りでクビになってるみたいな。最終年はもう終わりだなと思った。イライラしたけどね。まだできるよって」
巨人若手よ、もっと泥にまみれろ
そして今、元木世代の多くのアマチュア選手が憧れた巨人が苦しんでいる。球団史上最長の13連敗を喫し、借金10で首位広島とは13.5ゲーム差(6月15日現在)。こんな時こそ、若手選手の台頭が望まれるが、坂本勇人以降の巨人若手でコンスタントに結果を残した選手はいない。
「うん、不甲斐ないよね」
中井大介や藤村大介もこれまで多くのチャンスがあった。
「チャンスだらけじゃない。セカンドがいないって言ってるのに藤村は何してんだろうって。
正捕手・小林誠司の課題は?
「肩以外、全部課題じゃないの。結果出てないんだもの。プロっていうのは結果出てナンボの世界だから。これから何を変えていかなければならないかは、自分で考えなきゃ。人から言われて、なんだようるせーなと思うのか、そうかそういう考えの人もいるんだなと頭の片隅に置いておくのか」
弱い巨人は見たくない。後輩への熱い檄が続く。
「俺がコーチなら小林にボロクソ言ってると思うよ。なんでインサイド投げないのって。菅野に対しても、スライダー、スライダーばっかでなんで首振らないのって。バッターの考えは外のスライダーしか待ってないんだから。あそこはみんな踏み込んでくるよ。踏み込ませないためにもインサイド投げなきゃ。打者に考えさせなきゃ。外一辺倒ならみんな打つよ、プロは」
阿部慎之助の若手捕手時代は?
「慎之助なんて現役で一緒にやってるからボロクソだよ。毎日泣いてたよあいつ、ロッカールームで。おまえアマチュアじゃないんだぞ。なんだそのリードって。直接、俺言ってたもん。だってチームとして勝ちたいじゃん。あいつのためにやってるんじゃないんだから」
今の巨人でその役割ができる野手は?
「慎之助でしょ。試合中に澤村の頭引っぱたくぐらいだから(笑)」
話を聞いてると、近い将来の元木大介コーチの姿を期待してしまう。
「俺がやりたいって言ってやれる職業じゃないから。当然、ユニフォームは着たいですよ。野球人だから。今まで自分がやってきたこと、見たことを後輩たちに伝えていく。時代が違うって言っても野球は一緒なんだから」
「巨人に行くため浪人したい」と相談されたら?
甲子園のアイドルから、ドラフト騒動で悪役へ。浪人生活を経ての巨人入団後はドラ1スラッガーとして期待されるも、試行錯誤を繰り返し“クセ者”として生きることを選んだ男。なんて浮き沈みの激しいドラマティックな野球人生だろう。
1時間近いロングインタビュー。最後に1つ、どうしても聞きたいことがあった。「もし今、ドラフトで指名された高校生が巨人に行くため浪人したいって、元木さんに相談に来たらなんて答えますか?」と。
「がんばれーって。好きなところでやったらいいじゃんって。他にもたくさんプロ拒否した子もいたじゃん。全然かまわないよ。考え方は人それぞれで。もう個人の生き方だし。他の人がとやかく言うのはしちゃいけないと思う。とにかく周りの大人はその子が決めたことを応援してほしいと思うね。がんばれ! って」
それはまるで45歳の元木大介から、27年前にハワイで孤独な浪人生活を送っていた18歳の元木大介への心からのエールのように思えた。
■Kindleにて『元木大介の1分で読めるプロ野球テッパン話 88』が発売中!
※文中の画像はamazonよりジャイアンツ 2017年 05 月号 [雑誌]