AKB48グループや坂道グループの総合プロデューサーの秋元康が、新たに女性アイドルグループを手掛けるという。しかも、今回は「究極」にして「最強」のアイドルグループを目指すとか。


先日、AbemaTVの番組で“ホリエモン”こと堀江貴文が、秋元が第一線を走り続けている理由を「執着心があるから」と分析したが、今回のプロジェクトもその類まれなる執着心で成功に導けるのか、実に興味深いところである。
今やアイドルグループプロデュースの第1人者であるが、AKBのヒット前夜は意外な(?)失敗も目に付く秋元。代表的な2例をお節介ながら紹介しよう。

際どいセクシーさが売り!? 小学生アイドルグループ「ねずみっ子クラブ」


93年、秋元自身が監修を務めていた日本テレビ系『とんねるずの生でダラダラいかせて!』で、「ねずみっ子クラブ」を誕生させている。元々、「セクシー小学生コンテスト」の企画があり、その出場者の中からメンバーを選抜して結成されたアイドルグループだ。

昭和の大ヒット作「おニャン子クラブ」が猫だったから、今度はネズミ。そんなシンプル発想から生まれたのだが……。

デビュー曲『ねずみ算がわかりません』は、秋元康作詞、後藤次利作曲のゴールデンコンビによるもの。全盛期のおニャン子のようなちょっと過激な歌詞に、バニーガール風のセクシーコスチューム。さすがに、小学生の女の子たちには痛々しすぎた。
番組での盛り上げぶりと世間との温度差がそのまま結果となったか、オリコンチャート43位と振るわず。水曜夜9時の番組、しかも、とんねるず人気全盛期という時代を考えると惨敗である。

続く2ndシングルも同コンビによる『先生!鈴木くんがエッチなんです!』。
カップリング曲は『パパと結婚したかった』。例えファンであったとしても、買うのに勇気が要りすぎるタイトル……。
結局、チャートは99位に留まり、そのまま1年足らずで解散してしまった。

野村佑香や前田愛たちに代表される「チャイドルブーム」は、この少し後のこと。もう少し遅ければ……いや、それでもダメだったかも!?

ちなみに、後にグラビアアイドルになり、福岡ソフトバンクホークスの和田毅との結婚で引退した仲根かすみは、同グループ出身だ。

間接的にプロデュースした「チェキッ娘」


98年、再びおニャン子の再来を目指して結成されたアイドルグループ「チェキッ娘」。
秋元康プロデュースと紹介されることが多いが、実際はこのグループを売り出すために誕生したフジテレビ系『DAIBAッテキ!!』に「秋元康事務所」が協力していただけで、秋元自身は直接のプロデュースや作詞も行っていない。

しかし、当時の秋元はセガ(現セガサミーホールディングス)の社外取締役を務めており、セガが社運を掛けた新世代ゲーム機「ドリームキャスト(DC)」関連のプロモーションを請け負っていた。DCには130億円もの莫大な広告予算が投じられていたと言う。

そのDC一社提供の形でこの番組がスタートしたのだから、巨費を使っての間接的なプロデュースだったと考えるのが自然だ。
もっとも、平日(月~金曜)夕方16時台のアイドルバラエティでの番組内プロモーションやCMでは、大した宣伝効果があったとは思えないのだが……。

番組自体が関東ローカルであり、ネットも本格普及前。
新人アイドルグループの人気がマニア層の枠を超えて世間に到達するには、厳しすぎる条件である。
結局、半年後には視聴率の低迷から月~木曜の5分番組に縮小。金曜は30分枠をキープし、さらに土曜午後1時からの1時間番組を追加したが、マイナスイメージは拭えず半年ですべてが終了。それに伴いチェキッ娘も解散してしまった。

「当初から1年間の期間限定プロジェクト」と報道されたが、後付けにしか感じられない幕引きだった。
DC自体もライバルであるプレイステーション2とのシェア争いに惨敗。アイドル育成の失敗より、よっぽど深刻な失敗にも加担しているようである。

ちなみに、ディーン・フジオカの妹として脚光を浴びるタレントの藤岡麻美は、同グループ出身だ。

「失敗はある。後悔はない」
かつて秋元康が残した名言である。まぁ……そう言うことである。

※文中の画像はamazonよりBest Memories
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