番組では解散に言及せず、『がんばりましょう』『青いイナズマ』をはじめとする90年代のヒット曲映像を、オートレーサー転向のため、1996年5月にグループを脱退した森且行の映像もそのままに流した。
SMAPの"原点"だったテレビ東京
テレビ東京はバラエティタレントとしてのSMAPにとって、原点というべきテレビ局である。
結成3年目のSMAPが、テレビ東京でひっそりと始めた番組が『愛ラブSMAP!』(1991年6月から1996年3月まで放送)であった。
この番組は従来のアイドル番組とはひと味違ったものであり、恒例の歌やゲストを招いたトークコーナーに加えて、スポーツ競技へのチャレンジやオリジナルのコントにも挑戦していたのだ。
そこにはSMAPのメンバー自身の意見も取り入れられており、お仕着せの番組とは異なるものだった。
「歌と踊り」だけではない新しいアイドル像をSMAPが目指さなければいけない理由はなにだったのか。
低迷したデビュー当時のSMAP、バラエティ進出
SMAPははじめから国民的アイドルであったわけではない。
『愛ラブSMAP!』がスタートした同年に、SMAPは『Can't Stop!! -LOVING-』でCDデビューを果たし、およそ3ヶ月に1作のペースで新曲をリリースするも、売上は伸び悩んだ。
オリコン1位を獲得するのは、1994年の12枚目のシングル『Hey Hey おおきに毎度あり』まで待つこととなる。
その分、彼らは『夢がMORI MORI』(フジテレビ系)へのレギュラー出演をはじめ、バラエティタレントとしての活動を始めた。そのことが、従来のアイドル像とは異なる、バラエティタレントとしてのSMAPを作り出し、息の長い活躍へつながってゆく。
『愛ラブSMAP!』のコンセプトはそのまま『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)へと引き継がれる。(『愛ラブSMAP!』終了の翌月に『SMAP×SMAP』がスタート)。
「スマスマ」では、ドラマのパロディコントなど、お笑い芸人顔負けの作り込んだ笑いが話題となったが、その原点にはテレビ東京の『愛ラブSMAP!』があるのだ。