先日、『報道ステーション』出演中の稲葉篤紀は、侍ジャパン次期監督報道について富川アナから突っ込まれ、苦笑いしながらそう答えた。監督経験がないのは大きな不安要素だが、選手としてもコーチとしてもWBCを戦ってきた44歳。
酸いも甘いも噛み分けた野球人生
エリート街道まっしぐらかと思えば、中京高校では県大会の決勝で少年時代から同じバッティングセンターに通っていたイチロー擁する愛工大名電に敗れ、法政大にはセレクションを受け滑り込み、しばらく先輩たちの雑用に追われる平凡な日々。
そんな酸いも甘いも噛み分けた野球人生を送ってきた男だ。
気の早い話になるが、例え近い将来に大谷翔平がメジャー移籍しても、日本ハムでチームメイトだった稲葉ルートでWBC本大会に招集できる可能性が多少は高まるかもしれない。
もしかしたら、今の80年代後半~90年代生まれの代表選手や若い野球ファンには、ヤクルト時代よりも「稲葉篤紀=日本ハム」というイメージが強いのではないだろうか。
近鉄入団が決定的と言われていた稲葉篤紀
90年代中盤からヤクルトの主力選手として活躍した稲葉だが、実は94年ドラフト時は近鉄入団が決定的と言われていたことはあまり知られていない。
当時ヤクルトスカウトの片岡宏雄も自著で「稲葉はヤクルトの指名候補に入っていなかった。近鉄と話がついている、との情報が入っていたからだ」はっきりと書いている。
しかしいざドラフトが始まると、近鉄は1巡目で嘉勢敏弘を指名するもオリックスにクジ引きで負け、上位2人は投手指名。稲葉の名が挙がらない隙を付いて、事前に接触していなかったヤクルトが3位指名に成功する(当時の野村克也監督が息子・克則がいた明治大学の試合を観に行った時に、法政大の稲葉を見ていたという縁もあった)。
仮に事前の流れ通り近鉄入団となっていたら、その後は中村紀洋やタフィ・ローズとともにいてまえ打線の一員として暴れていた可能性が高い。
ヤクルトで活躍、メジャーリーグを目指すも……
大学時代に続き、再び神宮を本拠地とするヤクルトでプレーすることになった稲葉は、プロ初打席初本塁打の鮮烈デビューを飾り、1年目から規定打席不足ながら打率.307をマーク。いきなりチームの日本一に貢献してみせた。
プロ3年目には21本塁打を放ち再び日本一に。7年目の01年にも率.311、25本、90点、OPS.912という好成績で三度日本一に輝いた。10年間のヤクルト生活で数々の栄光をもたらしたのち、稲葉はメジャーリーグを目指すわけだ。
しかし、獲得に名乗り出るメジャー球団はなく、本人も焦り出した05年1月18日、「万が一、アメリカがダメだったら、うちに来てくれないか」とオファーをくれたのが北海道移転したばかりの日本ハムだった。ちなみに日本ハムがFA選手を獲得したのはこれが最初で最後。そんな球団の期待に応え、07年には自身初の打撃タイトルとなる首位打者と最多安打を獲得してみせた。
もしも、あの時、稲葉のメジャー移籍が成功していたら、その後の日本球界の歴史は大きく変わっていたはずだ。日本ハムの躍進や、今回の侍ジャパン監督報道もまた違った形になっていただろう。
稲葉篤紀の「北海道愛」
32歳で東京から北海道へ。ここで稲葉は北海道が誇る大自然の魅力に圧倒されることになる。
新鮮な海産物にハマり、生で食べられるトウモロコシに感動し、夕張メロンを知人たちに送る。そしてドラマ『北の国から』に感動して富良野へドライブ。再婚も北海道で出会った女性と。
サラリーマンの転勤でも、その土地が合うか、飯が合うか、おネエちゃんと話が合うか……という生活面は仕事をする上でなによりも重要だ。
稲葉の自伝を読むとひたすら溢れ出る「北海道愛」の数々が微笑ましい。
焼き肉やもつ鍋のオススメ店を紹介し、ラーメンなら『山頭火』の「しおらーめん」の大ファンとカミングアウト。寿司は札幌から小樽まで車を飛ばし、全然知らない店に入ることも。なぜならどこの店も新鮮で美味いから。
野村克也、若松勉、トレイ・ヒルマン、梨田昌孝、栗山英樹とキャリアをともにしたすべての監督のもとで優勝経験がある稲葉だが、チームが代わっても、例え上司が誰でも合わせられる、この環境適応力こそ最大の武器ではないだろうか。
さて、ヤクルトで10年、日本ハムで10年の現役20年のキャリアで通算2167安打、261本塁打、生涯打率.286という堂々たる成績を残した稲葉はどんな指導者になるのだろうか?
雑誌『読む野球』のWBC特集インタビューでは侍ジャパンの打撃コーチとしてこんな発言を残している。
「ティーチングではなく、コーチングなんです。あくまで陰で支える役目なので、教える、ではなくて、コミュニケーションを取りながらやっていくつもりです」
「野球は失敗のスボーツです。打撃は10回中7回は失敗する。失敗して当たり前なんです。だから、一つの失敗を引きずらないことも大事ですし、それをカバーし合う、ということが大事なことになってきます」
明るく厳しくいかなる場所でも、与えられた環境で自分の仕事を全うする男。果たして、「稲葉JAPAN」の誕生はなるのか……続報を楽しみに待ちたい。
(参考文献)
『北海道に僕が残したいもの』(稲葉篤紀/宝島社)
『躍る北の大地 道産子の夢に向かって全力疾走!』(稲葉篤紀/ベースボール・マガジン社新書)
『読む野球 No.13 WBCを読む』(主婦の友社)
『プロ野球スカウトの眼はすべて「節穴」である』(片岡宏雄/双葉新書)