1999年1月31日、その生涯を閉じた“プロレス界の巨人”ジャイアント馬場。
生涯現役ではあったが、80年代半ばで第一線を退いた後はバラエティ番組で活躍していたイメージが強い。


特に、88年~94年に掛けて日本テレビ系のゴールデンタイムで人気を集めたクイズ番組『クイズ世界はSHOW byショーバイ!!』でのパネラー姿は最高だった。

「何言ってるわからない」→「面白い!」評価が逆転した馬場さん


当時はクイズ番組の全盛期。
フジテレビ系『なるほどザ・ワールド』、TBS系『クイズまるごとHOWマッチ』など、視聴率20%超えの看板クイズ番組がしのぎを削っていた。そんな中、日本テレビが満を持して立ち上げた新番組が『SHOW byショーバイ!!』だ。

司会はフジテレビから独立したばかりの逸見政孝、クイズ番組のレギュラー解答者は初めてとなる山城新伍、エキセントリックな女性芸人の野沢直子と話題に事欠かない協力布陣が集結。中でも意表を付いたのが馬場さんの起用だった。
大変な読書家であることが選ばれたポイントだが、実は馬場さんならではのキャラクターによるところの方が大きかったと言う。

番組開始当初は「何を言ってるかわからない」「もっとしゃべって欲しい」など否定的な意見が多かったとか。しかし、番組的にはこれこそが狙い目。
他の芸能人が阿吽の呼吸でスムーズに進行する中、「わからないものはわからない」と解答すら拒否するマイペースなスタンスが独自の面白さを醸し出したのだ。

実際3ヶ月もすると、「面白い!」の意見が圧倒的に上回ったと言う。そう、普通のタレントのように演出が効かない妙味こそ、馬場さんの持ち味なのだ。

実は大人の対応で番組を盛り上げた立役者


かと思えば、プロレスで培った達観した「大人力」も魅力である。
ある時、出演者の一人が演出に不満を持って本番前にゴネたことがあった。
それを見た馬場さんが「金をもらってやってるんだから、言う通りにやりゃあいいじゃんか」とポツリ。
全日本プロレス社長と言う立場を考えると実に深すぎるコメントである……。

また番組での有名なエピソードに、早押しボタンを叩いた際にパネラー席を破壊してしまった事件があるが、これは山城新伍いわく演出の一つだったと言う。
馬場さんに内緒で席が落ちやすい細工をしていたが、馬場さんはそれを察した上で知らんぷりしてあえて重い馬場チョップを加えたのだ。

こうして、スタジオ大爆笑&大混乱に乗じて山城がカンニングするまでの流れをアシスト。自身の役割を自然体でまっとうしていたのである。

名司会者、逸見政孝との友情物語


義理堅さも馬場さんの魅力の一つだろう。
『SHOW・byショーバイ!!』のパネラーとしてのユニークさが受け、複数の他局からクイズ番組のゲスト交渉があったが、「『SHOW byショーバイ!!』の出演者として出させていただいているのだから他は出ない」と、すべて断ったと言う。

また、司会の逸見政孝がガンで入院した際のエピソードは有名だ。
ガンが治って欲しい願掛けから、自身のトレードマークでもある葉巻をやめたのだが、自らそれをひけらかすことは一度もなかった。また、残念ながら願いは叶わなかったが、生涯葉巻は吸わないままだった。

黙して語らず、行動で示すのみ。
この辺り、ライバル関係にあったアントニオ猪木と真逆なのが面白い。
ただ、あまりに語らなすぎて誤解されることも多かったようだが……。

元々、グリコのお菓子やアイスを始め、数々のCMにも出演していた馬場さんだが、この『SHOW byショーバイ!!』出演を機に、さらに幅広くCMキャラクターを務めることになった。
それも、日清のカップうどん「ごんぶと」、タワーレコード、スキードーム「ザウス」などなど、メジャーどころばかり。生涯では延べ50社を超えたと言う。

リングを降りても一流のエンターテイナーだったジャイアント馬場。芸能界にも「大きすぎる足跡」を残しているのである。

※文中の画像はamazonより個性豊かなリングガイたち
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