バルセロナ五輪・銀メダリストの池谷幸雄も、そんな、奔放な競技者だったうちの一人です。
甘いマスクで人気だった池谷幸雄
私事で恐縮ですが、筆者が小学生か中学生の時。道徳の授業で、麻薬の恐ろしさを伝える、国が制作したと思しき教材ビデオを観賞したことがあります。
そのビデオの中で案内役をつとめていたのが、誰あろう、池谷幸雄その人です。
公立学校における教材。それも、“ノー・モア・ドラッグ”を青少年へ訴えかける役を担っていたのですから、いかに、昔の池谷が“ 好青年”と見られていたか分かるというものでしょう。
実際、池谷は体操界の若きスターでした。18歳の時に出場した1988年のソウルオリンピックでは、団体総合と個人ゆかで銅メダル。続く、1992年のバルセロナオリンピックでは、団体総合で銅メダル、個人ゆかで銀メダルという活躍を見せます。
その甘いマスクも手伝って、一躍、人気選手となりますが、わずか22歳で引退を表明。その後、自ら志願してホリプロ文化部へ入所し、タレント活動を開始するに至るのです。
ギリギリガールズの元メンバーと出来ちゃった婚
タレント活動初期の頃は、「元五輪・銀メダリスト」という肩書も手伝って、さまざまな番組に登場していた池谷。印象的だったのは『マジカル頭脳パワー!!』出演時。正解すると、ときたま得意のバック転を披露して、他の出演者から拍手喝采を浴びていたものです。
私生活の方も順風満帆で、1995年には、元ギリギリガールズのメンバー・樹あさ子と出来ちゃった結婚。同年9月には女児を設けます。
しかし1997年6月に、写真週刊誌『FOCUS』で、当時テレビ朝日の女子アナだった吉元潤子との不倫がスっパ抜かれたのをきっかけに、彼の人生は暗転していくことになるのです。
波乱万丈な池谷幸雄の人生
スキャンダルが報じられてからほどなくして、夫人とは別居状態となり、1998年には離婚が成立。
この時、請求された慰謝料を捻出するべく、時価約1200万円のフェラーリを売却したのですが、仲介ブローカーが金を着服。
妻子に逃げられ、金はだまし取られ……そんな池谷へ救いの手を差し伸べたのが、12歳年上の裕福な実業家の女性でした。彼女は2000年7月に池谷と結婚。新妻が巨大な資金力を持っていたこともあり、池谷は2人で豪華なラスベガス旅行へ出かけるなど、悠々自適な生活を満喫。
けれども結局、この女性との関係も長くは続かず、2004年8月には2度目の離婚を経験します。
その後も、2012年に、電子書籍作家・西麻布よしことの間に隠し子が発覚したり、2015年には、女性スタッフの尻を触るといったセクハラ疑惑が浮上したりと、女癖の悪さばかりが報じられている池谷。
現役時代の栄光を汚してしまうのは、なんとももったいないと言えるでしょう。
(こじへい)
※文中の画像はamazonよりナインティナインのオールナイトニッ本 vol.6 (ヨシモトブックス) (ワニムックシリーズ 207)