8月2日、石原氏は公式Twitter上で「最近、女装した男のテレビタレントが大流行」しているとし、その状況を「世の中が衰退し、何でもありと狂ってきた証なのだろうか。」と批判。
この石原発言に対して、高須クリニックの高須院長がこんなことを言っていました。
「石原慎太郎先生、釈迦に説法でしょうが、歌舞伎の華は女形ですぜ。」
高須院長の言うとおり、芸能の世界において「男装女子」が活躍するようになったのは、何も最近に限った話ではありません。歌舞伎界を除いたとしても、石原氏の2個下にあたる美輪明宏が世に出てからというもの、数えきれないほどのオネエタレントが登場してきたのは誰もが知るところです。
カルーセル麻紀、美川憲一、ピーター、おすぎとピーコ、クリス松村、楽しんご、ミッツマングローブ……。枚挙に暇がありません。
山咲トオルも、過去にメディアを賑わせたオネエ系タレントの一人。「漫画家出身」という特異なバックボーンを活かして彼がオネエ枠のトップに君臨していたのは、遡ること今から15年ほど前となる、2000年代前半のことでした。
テレビで見ない日はないほどだった山咲トオル
『屍少女』『戦慄!!タコ少女』『モーレツ変身!!エピルちゃん』
これが山咲トオルの作品群です。楳図かずおの影響を受けた彼が、ホラー漫画家デビューしたのは1994年のこと。
タレント活動を始めたのは、それから3年後となる1997年12月。東海ラジオの番組『青春!!タコ少女』のパーソナリティ就任時からです。この番組を契機にどんどんテレビへ出演するようになり、2000年代前半には、『笑っていいとも!』のレギュラーにも抜擢。
一時期は、テレビを付ければ必ずいるほどの売れっ子ぶりでした。
まるでアイドル歌手? CDもリリースしていた
また、本人はアイドル志望だったらしく、漫画家になる前はカラオケのイメージビデオに出演したり、アイドルのオーディションを受けたりしていたといいます。
そういった背景もあり、2003年には『真夏のハート』、2004年には『私のオアシス』というソロシングルをリリース。夢だったアイドル歌手のように歌番組へも出演し、まさにこの世の春を謳歌していました。
面白いことを言えずに思い悩む
しかし、あるときを境にテレビから姿を消しました。きっかけとなったのは、とあるトーク番組出演時。ひな壇に座る山咲は、自らの発言で場をシーンとさせてしまったのだとか。
かねてより、「オネエ=面白い」のレッテル貼りにプレッシャーを感じていた彼は、この一件を機により一層深く思い悩むようになります。
「テレビに出ても“ニコ”っと笑うしかできない自分は、周りに迷惑を掛けているのではないか…」そんなふうに感じていたそうです。そしてある時マネージャーと相談し、三年間の休業に入ることを選択したのでした。
3年後、オネエ系タレントが次々登場していた
この3年の間に、芸能界ではマツコ・デラックスをはじめ、しゃべれるオネエ系タレントが次々と登場。芸能界に戻ってきた山咲の居場所は、どこにもありませんでした。
今では、テレビ出演も『しくじり先生』や『ヨソで言わんとい亭』に登場して失敗談を語るしかなくなってしまった山咲。ここから以前のような一線級のタレントに返り咲くのは、とてつもなく難しそうです。
(こじへい)
※文中の画像はamazonより私のオアシス