大阪庶民の味「紅しょうがの天ぷら」のルーツを探る

大阪のご当地B級グルメといえば、どのようなものがあるのでしょうか? たこ焼き? お好み焼き? 少々メジャーすぎますね。今回紹介するのは、そのいずれでもない「紅しょうがの天ぷら」という食べ物です。
いったいそれはどのようなご当地B級グルメなのか? 専門家による意見も交えて解説していきましょう。

これが紅しょうがの天ぷらだ!


大阪庶民の味「紅しょうがの天ぷら」のルーツを探る


まずは、実際に紅しょうがの天ぷらを食べに行きます。向かったのは阪神百貨店。創業88年の歴史を持ち、大阪市内の「キタ」と呼ばれる地区で一、二の人気を争う有名な商業施設です。紅しょうがの天ぷらが食べられるのは、おいしさに定評のある総菜コーナー。その他、大阪下町の商店街などでも広く販売されています。

というわけで買ってきました、紅しょうがの天ぷら。その名の通り、お好み焼きや焼きそばなどに乗せられている紅しょうがを、刻むことなくそのままサクッと油で揚げたもの。
「紅しょうが」としてはやや大きく見えるかもしれませんが、それがまたいいんです。

サックサクの衣に包まれているそれを一口含めば、またたく間に紅しょうが特有の「辛すっぱさ」とも言うべき味を伴うウマみが口いっぱいに広がっていきます。口の中をこれでもかと刺激してくれるので、ビールのツマミとしては最適といえるでしょう。

実際、天ぷら屋だけでなく、大阪にある多くの居酒屋においてこの紅しょうがの天ぷらを食べることができます。特に、新世界など下町的な雰囲気漂う場所のお店には必ずといっていいほど用意されていますね。
うどん屋でも、これをトッピングした「紅しょうがうどん」がメニューにあったりします。
ちなみに私自身もこの紅しょうがの天ぷらが大好きで、学生時代は関西で人気のカップ焼きそば「明星一平ちゃん夜店の焼きそば」に辛口マヨネーズをたっぷりかけ、それといっしょに食べるなんてことをしていました。紅しょうがなので、お好み焼きといっしょにいただくというのも非常に相性がいいですね。


紅しょうがの天ぷらの起源とは?


このように、多種多様な楽しみ方ができる紅しょうがの天ぷらは、いつごろどのようにして生まれたのでしょうか。

関西でも随一の知名度を誇り、日本最初の調理学校としても知られる「辻学園調理・製菓専門学校」の料理研究室に問い合わせてみたところ、このような回答をいただきました。

そもそも紅しょうがなぜ生まれたのかというと、梅干しを作るために使った赤しその梅酢と関係があります。同研究室によれば「梅酢をある人物が『梅干しだけに使っていると酢が残ってもったいない』と考え、しょうがを漬けて食べるようになったようです。大阪人の『もったいない精神』からきているようですね」。

もともと梅干しというのは、春から夏への季節の変わりめとなる「土用」、すなわち7月下旬から8月上旬に作られていたものであり、夏バテにも効果があるとされています。ジンゲロールやショウガオールといったさまざまな栄養素を含み、スタミナアップや胃腸改善効果が期待できるしょうがも、夏の体力低下対策として有効です。

ひょっとすると「もったいない精神」だけではなく、梅酢との併用による効果アップを狙った保存食として、紅しょうがは作られるようになったかもしれませんね。

それでは、この紅しょうががいつ頃、なぜ天ぷらとして食べられるようになったのか。
それについては辻学園調理・製菓専門学校の方も分からないそうです。紅しょうがそれ自体が誕生した時代についてもこちらで調べてみましたが、分からずじまいでした。

とはいえ、少なくとも天ぷら自体は、今の形に近いものが江戸時代の寛文年間(1661~1673)には存在したとされる記録(「食道記」という書物に記載あり)があるので、しょうが天ぷらが登場したのもそれ以降となるはずです。

大正時代には屋台の定番メニューであったようで、大阪を代表する文豪・織田作之助の「夫婦善哉」文中においても、ゴボウやレンコン、スルメやイワシなどと共に「一銭天婦羅」として販売されている描写があります。小説の何気ない一場面にも登場していることから、紅しょうがの天ぷらが大阪の庶民にとってなじみ深い食べ物であったことも伺えますね。
(かるめら)
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