この企画は『電波少年INTERNATIONAL』(日本テレビ系)で行われたものである。
『進め! 電波少年』のスペシャル版として1994年から1998年の改編期に放送されていたこの番組は、日本を飛び出し、海外で過激な“アポなしロケ”を行っていた。出川だけではなく、数々の伝説を生み出した番組をふりかえってみたい。
1.松村邦洋、砂漠でガチ遭難
「豪邸のプールで泳ぎたい」という企画において、UAE(アラブ首長国連邦)を訪れた松村。豪邸の家へ向かうべく砂漠を走行していたが、途中で車が故障してしまう。
まずドライバーとプロデューサーが歩いて救援要請に向かい、松村と2名のスタッフはその場に残ることに。だが、なかなか助けが来ないことに焦りを感じた松村らは、自力で移動をはじめてしまう。これは絶対にやってはいけない行動の一つであり、案の定、松村らは遭難してしまった。
翌日、用意していた水も尽き、脱水症状が現れ始めていた松村であったが、救助隊になんとか発見されて事なきを得た。
2.松本明子、アラファト議長と対面
パレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長をアポ無しで訪ね、『てんとう虫のサンバ』の替え歌で「アラファト(と)私が夢の国~」のデュエットを目指した企画であり、奇跡的にアラファト議長との対面が実現した。
後に松本はテレビ番組で、アラファト議長にハグしようとした瞬間、SPが一斉にマシンガンの安全装置を解除した壮絶なエピソードを明かしている。
3.山崎邦正が牛にパンチ
「ガキの使い」でもおなじみのヘタレキャラを克服するため、スペインの牛追い祭に参加した山崎邦正。牛にパンチを次々とキメる様子を現地のテレビ局のカメラが捉えている(「電波」のスタッフは肝心のシーンを撮り逃してしまった)。
だが、山崎はほかの参加者からボコボコにされてしまう。祭において牛は"神様"であるため、殴るのはもってのほかの行動だったのだ。
4.唯一? のギブアップ芸人
よゐこが出演した企画は、何とも後味の悪いロケに終わってしまった。
プロデューサーに「ベトナム料理を食わせてやる」と現地へ連れて行かれ、料理を堪能したあと、自力で戻って来るよう言われ現地に放り出されたよゐこ。
アルバイトをしようにも、ベトナムの物価が安すぎるため、飛行機代はとても稼げそうにない。日本大使館を訪ねるもどうにもできず、なんとその場で早々にギブアップ宣言を出してしまった。
これを見た出川哲朗がよゐこの芸人人生を案じてマジ説教したという。
今のテレビではできない企画ばかり。『電波少年INTERNATIONAL』は90年代のバラエティ史に残る過激な名物企画を数多く生み出していたといえるだろう。
※文中の画像はamazonよりイッテQ! エブリデイ出川語録 ([実用品])