40回目の記念となる『24時間テレビ 愛は地球を救う』(日本テレビ系)が、8月26日から27日にかけて放送された。

今年は、マラソンランナーが当日まで発表されず、注目が集まっていたが、番組内で人気お笑い芸人のブルゾンちえみと発表され、90キロを完走した。
高校時代に陸上部で長距離走をこなしていたとはいえ、突然の“ムチャ振り”に対しても、放送時間内にきっちりとゴールしたブルゾンは「敵を作らない」活躍を見せたと言えよう。

1996年「24時間テレビ」での異例の事態


彼女に限らず、「24時間テレビ」のマラソン企画は放送時間ギリギリでのゴールが見せ場となっている。仮に「24時間テレビ」の放送中に間に合わなくとも、後番組の『行列のできる法律相談所』が生放送で組まれているため、そちらで対応可能だ。
だが、この編成が組まれるようになったのは2005年以降である。

そのため、それ以前の放送で、時間内にゴールができなかった場合、放送時間が延長されることもあった。
「24時間テレビ」史上初めての放送時間延長が行われたのは第18回放送(1996年)でのことである。

赤井英和が時間内にゴールできなかった理由


この年、チャリティマラソンにチャレンジしたのは赤井英和であった。当時の赤井は『人間・失格~たとえば僕が死んだら』『セカンドチャンス』(ともにTBS系)などで好演し、俳優として高い評価を得ていた。

年齢は37歳。引退したとはいえ元プロボクサーの経歴を持つだけにスタミナは十分にあるはずだが、なぜ時間内に間に合わなかったのか。

実は、赤井のマラソンは「つなげよう!愛のタスキリレー 日本列島縦断3600キロ」と題した一般参加者600人によるたすきリレーの一貫として行われた。日本列島の北と南からマラソンのたすきがつながれ、最後のランナーとして赤井が100キロマラソンに挑戦する企画だ。

しかし、一般参加者の到着が遅れ、出発時間が後ろにずれこんでしまったのだ。そのため、赤井の実力をもってしても放送時間内でのゴールがかなわなかった。


後番組も異例の展開に


そこで、日本テレビは急きょ放送時間を30分延長。赤井はなんとかゴールを果たした。

この延長が影響し、後番組の『超天才・たけしの元気が出るテレビ!!』は、プロ野球中継のように繰り下げ放送とはならず、放送の途中から流れる異例の展開となった。「元気テレビ」は1ヶ月後の、1996年10月での打ち切りが決定したことも、こうした判断となった要因かもしれない。

※文中の画像はamazonより24時間テレビ 40 チャリ Tシャツ 2017 (サイズLL, 黄)