近年でも、本人もバラエティや雑誌のインタビューで「本業は歌手です」「今も、一番やりたいのは歌」なんて度々応えるほど。歌手としての思い入れは相当深そうだ。
しかし、本人の思いとは裏腹にほとんどの人があのメガヒット曲以外は記憶にないのが現状ではないか?
『恋しさと~』以外のシングルも軒並み50万枚超えのヒット
小室哲哉プロデュースによる『恋しさと せつなさと 心強さと』が200枚枚超えのメガヒットとなったのはご存知のとおり(記事はこちら )。記念すべき、初のミリオンセラーとなった小室作品でもある。
続いてリリースしたバラード『もっと もっと…』も60万枚超えのヒットを飛ばした名曲。小室自身は『恋しさと~』よりもこちらの方がお気に入りだそうだ。
続く『Lady Generation』はアルバムからの先行シングルだったが、それでも50万枚超えのセールス。どちらも95年の作品であり、小室プロデュース全盛期の勢いを感じずにはいられない。
小室に続いてプロデュースしたのは井上陽水
ここで小室プロデュースは終了となるが、続いてバトンを受けたのはまたも超大物。95年11月、井上陽水の作詞・作曲による『ダメ!』をリリースしている。
篠原が歌手を志すきっかけとなった憧れの中森明菜に『飾りじゃないのよ涙は』を提供し、大ヒットした実績もある。篠原的には待望のプロデュースといえそうだ。
ウェット感のある声質がマッチする大人の色気を感じる名曲であり、根強いファンも多い。マツコ・デラックスがお気に入りに上げたこともある。
広瀬香美による楽曲からすでに迷いが?
翌96年5月、今度は広瀬香美による『平凡なハッピーじゃ物足りない』をリリース。広瀬は前年に内田有紀のデビュー曲『TENCAを取ろう!~内田の野望~』の作詞を担当。女性ソロデビューシングルで、史上初の初動首位を獲得するという快挙に一役買っていた。
『平凡な~』もお得意の広瀬節が炸裂するお気楽ポジティブソングだったが、最高位こそ19位に上がったものの、セールスはさらに下降してしまう。
同時期に井上陽水が『アジアの純真』をPUFFYに作詞提供して(作曲は奥田民生)、大きな話題を集めているだけに、そのコントラストが切ない。篠原が胸の谷間を強調するジャケットだったのも、元々のB級アイドル路線を感じてしまい切なかった。
このころ、『THE夜もヒッパレ』出演時には安室奈美恵に対して「私、歌手じゃないです」なんて発言も。
当時の篠原はドラマやバラエティにも精力的に出演していたが、ドラマはまだチョイ役レベルで、バラエティでは天然おバカキャラのツッコまれ役。どの路線で進むのか、迷走気味だったようだ。
裸同然のジャケットやキスも話題に……忌野清志郎とのコラボ
96年8月には、秋元康作詞による『しあわせはそばにある』をリリースするが、もはや記憶の片隅にも残っていないレベル。オリコン27位、セールスにいたっては3万枚と瀕死状態だ。
そこで、11月には忌野清志郎とのユニットで『パーティーをぬけだそう!』をリリース。篠原の熱烈アプローチが実った夢のコラボレーションで、起死回生を狙う。
作詞は清志郎、篠原の共作で、それぞれの所属会社から別バージョンのCDがリリースされる力の入りよう。2枚揃えると裏ジャケットが1枚の写真になる仕掛けもほどこされていた。
しかも、ジャケットは全裸に見える篠原の体(実際には肌色のビキニを着ていた)に、総勢54人ものプチサイズの清志郎が群がる過激なもの。今や伝説となった、『ミュージックステーション』での清志郎とのディープキスのパフォーマンスもこの曲のときだ。
この直後、篠原初の水着姿が収められた写真集も発売になっており、文字通り体を張ったプロモーションを続けていたようである。
しかし、迷走はさらに強まっていた感が否めない。その不安通りに、オリコン、セールスともに大爆死。筆者の中でも、ここで実質的に篠原の歌手活動は終わっている。
篠原涼子の歌手復帰は?
この後もスローペースながらもリリースを重ねるが、商業的には成功したとは言い難い作品が続き、03年、椎名林檎の兄であるR&Bシンガー、椎名純平とのデュエット曲を最後にリリースは止まってしまった。
しかし、楽曲のクオリティ、歌唱力ともに、この売れなかった時代こそ全盛期と見るディープなファンも多い。
篠原の歌手復帰はありえるのだろうか?
2012年、『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』の最終回特番にサプライズ出演した際には、様々な思い出がよみがえり涙ぐんだ篠原。その際、ダウンタウンにねぎらいの言葉をかけるつもりが「おめでとうございます」と天然ボケぶりを発揮してしまうのだから、トップ女優になってもその本質は変わっていない模様。
バラエティにも復帰してもらいたい逸材である。
※文中の画像はamazonよりパーティーをぬけだそう!