『ドリフ大爆笑』を見て育った世代としては、この光景がまるでコントのワンシーンのようであり、これから起こるドタバタ劇の前フリみたいに見えたものです。
72歳で亡くなったいかりや長介
2004年3月20日。ザ・ドリフターズのリーダー・いかりや長介が、癌のために72歳で亡くなりました。老いて人気を失い、隠居のようになってしまうタレントというのは数多く存在しますが、彼はその逆。フジテレビ系ドラマ『踊る大捜査線』での活躍はいうまでもなく、火曜サスペンス劇場『取調室』(日本テレビ系)と月曜ミステリー劇場『弁護士猪狩文助』(TBS系)、2本の人気テレビシリーズで主演をつとめるという、いぶし銀に輝き続けた本物のスターでした。
そんな齢70過ぎにして「BISTRO SMAP」からお呼びがかかるほどの人気タレントだったがゆえ、その死はメディアで大きく報じられ、加藤茶が弔辞を読み上げた告別式の模様も、幾度となく取り上げられたものです。
いかりやともっとも付き合いの古かった加藤茶
そもそも、なんで他のメンバーではなく、加藤が代表して弔辞を読み上げたのかと言えば、彼がドリフターズ最古参のメンバーであり、いかりやと最も古い付き合いだったからに他なりません。
2人の出会いは1962年。いかりやはベーシストとして、加藤はドラマーとして音楽バンド『桜井輝夫とザ・ドリフターズ』に同時期加入したところから縁が始まります。
後にリーダーだった桜井がプロモーター側に回り、メンバーの大半が脱退。バンドは、桜井引退後にリーダーへ昇格したいかりやと加藤だけとなり、存亡の危機に瀕しますが、1964年に、仲本・高木・荒井注(1974年脱退)・綱木文夫(1965年脱退)が加わり、なんとか再出発を果たしたのでした。
いかりやと志村&加藤の不仲説もあった
それからの快進撃はご存じの通り。『8時だョ!全員集合』は最高視聴率50%を記録するオバケ番組となり、『ドリフ大爆笑』は20年以上続く人気シリーズとなりました。
しかし、『全員集合』の終了と『大爆笑』の不定期放送化以降は、メンバー個々の活動が活発化。グループとしての活動は激減し、一時は、いかりやと志村&加藤の不仲説も囁かれていたものです。
それでも、ドリフが解散するようなことはありませんでした。
20年ぶりの撮影で涙ぐむ志村けん
ところが、既にこの時点でいかりやの身体は限界寸前。いつ倒れてもおかしくない状態だったそうです。そのため、たった数分程度の撮影も、いかりやの具合を見ながら何時間もかけて慎重に執り行われたのだとか。
動画サイトで映像を見返してみると、たしかに、いかりやはずいぶんと痩せ細っており、元気もありません。そして、心なしか一番端っこの志村が涙ぐんでいるようにも見えます。おそらくドリフメンバーも、いかりやがそう長くはないことをこの時には悟っていたのでしょう。
加藤「また向こうでコントをやろうよ」
告別式において、加藤は無念さを滲ませながら、以下のように故人へ語りかけ始めます。
長さん……。随分急いで向こうに行っちゃったんだね。アンタ、最後の最後に嘘ついたよなぁ。去年の12月に「大爆笑」のオープニング撮るときに久しぶりに会って、「40周年の記念で『全員集合』と『大爆笑』、この2本撮りたいね」って。
互いに死を予感しながらのやり取りだと思うと、悲しくてやりきれません。
続けて加藤は「40年間本当にご苦労さん」と盟友の労をねぎらい、同時に、唯一の最古参メンバーとなった責任からか、こう宣言します。
これから俺たち4人でドリフターズまだやっていくよ。アンタが残した財産だからね。
また、コメディアンらしく、こんな洒落っ気の効いたメッセージも。
それから、いきなりそっちから「全員集合!」といわれても俺たち4人は集まれないからね。たぶんそのうち本当に「全員集合」になるかもしれないけど、その時はやっぱりまた向こうでコントをやろうよ。
最後には「ゆっくり休んでちょうだい。さようなら。」と、いかりやに別れを告げた加藤。
(こじへい)
※文中の画像はamazonよりワッショイ!加トちゃんメドレー!! Single, Maxi