早生まれで現在36歳の實松はあの「松坂世代」の一員だ。
98年11月20日、ドラフト会議で12球団中8チームが高校生を1位指名した。松坂大輔(西武)、古木克明(横浜)、石堂克利(ヤクルト)、東出輝裕(広島)、藤川球児(阪神)、新垣渚(オリックス・拒否)、吉本亮(ダイエー)、そして實松一成(日本ハム)である。
いわば彼らは松坂世代の第一陣としてプロ入りしたわけだ。3年後には社会人野球に進みシドニー五輪に出場した杉内俊哉、4年後には大卒組の村田修一、和田毅、木佐貫洋といった錚々たる面々がプロ入りする。
その世代最高のキャッチャー實松がプロ19年目の自由契約である。時の流れは残酷だ。
松坂大輔が横浜に行っていたら……?
……と資料を見ていてふと思い出したのが、98年はまだ日本シリーズ後にドラフト会議があったという事実だ。横浜が38年ぶりの日本一に輝く西武との日本シリーズが開幕したのは10月18日なので、ペナントが終わり日本シリーズを戦い、それから1か月弱して松坂世代ドラフトへ。
言われてみたら、そうだった。野球ファンの間で「あのドラフトで、地元横浜高を甲子園連覇に導いた松坂の当たりクジを引いていたら、ベイスターズの歴史は大きく変わっていたかもしれない」と時々言われる90年代球界ifもしも。
確かに石井、波留、鈴木、ローズ、駒田、佐伯、進藤、谷繁と並ぶマシンガン打線は翌99年には史上最高のチーム打率.294(投手を除くと.303)を記録。チームは71勝64敗で3位だったが、仮に西武で16勝5敗、防御率2.60の成績でパ・リーグ最多勝を獲得した松坂が入団していたら、17勝6敗の川村丈夫、14勝3敗の斎藤隆との強力3本柱で横浜がV2を達成していた可能性も高い。
史実では、99年オフには大魔神・佐々木主浩がシアトル・マリナーズへ移籍して、チームは大黒柱を失うことになるわけだが……。
坊主頭になった長嶋監督
個人的に98年シーズンで鮮明に覚えているのが「坊主頭の長嶋監督」だ。
あの夏、俺は生まれて初めての海外旅行中でバックパックひとつ背負ってタイのビーチにいた。要は大学の夏休みが長すぎて死ぬほど暇だったのである。当時はネット環境も今ほど整備されておらず、遠く離れた母国で何が起きているかもまったく分からない。
そんなある日、朝食を取るために入った現地の店で、日本から来たばかりのバックパッカーから貰ったのはスポーツ新聞。そこで大きく報じられていたのが「ミスターの坊主頭」だった。
記事には甲子園での阪神戦でガルベスが球審の判定に激昂してボールを投げつけ、さらに同カードの乱闘責任を取り長嶋監督が頭を丸めたと書いてある。無茶苦茶やんけ……と呆然と新聞を読んだ夏の日の1998。
異様な注目度だった高橋由伸
そんな罰金4000万円ガルベス事件は置いといて、98年セ・リーグのハイレベルな新人王争いを思い出す人も多いだろう。
最後には14勝を挙げた川上憲伸(中日)が競り勝つが、世間ではデビューしたばかりの高橋由伸(巨人)が話題となっていた。
前年のドラフト時、あらゆるメディアからご近所の人妻さんまでこのイケメン慶応ボーイに注目。
参考までに97年ドラフト前後の『週刊ベースボール』を確認してみると、11月24日号、12月1日号、12月8日号、12月29日号、1月5・12日号と怒濤のハイペースで由伸スマイルが表紙を飾っている。慶応の詰襟学ラン姿から、ジャイアンツの真新しいユニフォーム姿での長嶋監督との入団会見まで。
まだ巨人が圧倒的な人気を誇っていた時代、いやその巨人戦地上波中継最後の時代に登場したのが背番号24だったわけだ。
イチロー、大魔神、松井が日本球界でプレーしていた
いきなり打率.300、19本、75打点という成績を残した由伸のデビューは相乗効果を生み、同世代の活躍に刺激を受けた1歳年上のチームメイト松井秀喜はこのシーズン34本、100打点でプロ6年目にして初の本塁打&打点王に輝いた。
松井は翌99年には42本と自身初の40本超えを果たし、ここからヤンキース移籍までの数年間は名実ともに日本球界最高のスラッガーとして全盛期を迎えていく。
なおもう一人の“リトルマツイ”こと松井稼頭央はロッテ小坂誠と盗塁王を分け合い2年連続のタイトル獲得している。
ちなみに98年オフの契約更改でパ・リーグ5年連続首位打者に輝いたイチロー(オリックス)が史上初の年俸5億円に到達。佐々木も1億5000万円アップの4億8000万円でサイン(実は5億円説も根強い)。
この年限りで80年代中盤から球界の年俸を底上げしてきた落合博満(日本ハム)が現役引退と球界の世代交代が進んだ。
20年近く経った現在も球界最高給ラインはほとんど変わっておらず、やはりNPB球団が出せるひとつの限界値の目安が年俸5億円前後なのかもしれない。なお98年契約更改の席上でイチローと佐々木がともにメジャー移籍について言及しているのも興味深い。
2人は3年後にはシアトル・マリナーズでチームメイトになるわけだが、こうして振り返ると1998年はイチロー、佐々木、ゴジラ松井にリトル松井と全員日本球界でプレーしていたことに驚かされる。
もし2018年の来シーズン、あれから20年経って、平成10年の横浜との日本シリーズで躍動していた「西武の松井稼頭央」が帰ってくるならこんなに嬉しいことはない。
(死亡遊戯)
(参考資料)
『週刊プロ野球セ・パ誕生60年 1998年』(ベースボール・マガジン社)