ようやく、この時がやってきたという感じでしょうか。

11月2日、フジテレビの看板バラエティ『とんねるずのみなさんのおかげでした』と『めちゃ×2イケてるッ!』が、来年3月の放送をもって終了することを各スポーツ紙が報じました。


放送期間でいうと、『めちゃイケ』が約21年半で、『みなおか』が『おかげです』時代も含めると約29年半(2018年3月の番組終了時点)。
同じゴールデンタイムのお笑い番組でも、80年代に一世を風靡した『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)が8年、最盛期には視聴率50%をマークした“昭和のオバケ番組”『8時だョ!全員集合』(TBS系)ですら16年で打ち切りになった事実を鑑みれば、明らかに長過ぎです。

しかもご存じの通り、『めちゃイケ』も『みなおか』も、かねてより低視聴率化が著しく、内容的にも閉塞感が漂い続けていました。

振り返ると、今から25年ほど前。フジテレビは視聴率三冠王に輝くテレビ界の王者でした。それも、ただの王様ではありません。テレ東に次いで2番目に遅く開局しながら、80年代から前衛的な番組を次々と生み出し、下剋上を成し遂げていった革命的な王でした。

この当時の勢いが如実に表れていた番組が、1991年3月に放送された『カノッサの屈辱』第19回 「テレビ全史」です。

知的教養バラエティとして人気だった『カノッサの屈辱』


『カノッサの屈辱』は、現代日本の消費文化史を、歴史上の出来事になぞらえて講義するという深夜バラエティ。
たとえば、キリンビールを幕府に、他のビールメーカーを諸藩に当てはめた「幕末ビール維新」、国産自動車メーカーのホンダ・トヨタ・日産の攻防を魏呉蜀に置き換えた「車三国志」などの講義を次々と発表し、視聴者の知的好奇心を喚起していました。

その最終回スペシャルとして放送されたのが、「テレビ全史-50分特別講義」です。ここではNHKと民放5局を以下の如く国になぞらえ、実際のヨーロッパ史上の出来事に見立てて論じていました。

・NHK⇒NHK教皇庁
・日テレ⇒シャボン朝ペルシア
・TBS⇒ドリフランク王国
・フジ⇒大英ト帝国
・テレ朝⇒イスパニアアサヒ王国
・テレ東⇒テレ東ゴート王国


大英ト帝国(フジ)がいかに成功していったかを論じた


この歴史巨編。各局の歴史について包括的に論じながらも、その骨子にあるのは、大英ト帝国(フジ)の成功物語です。

弱小だった同国がどのような遍歴を経て、シャボン朝ペルシア(日テレ)・ドリフランク王国(TBS)の2大勢力と比肩するまでの存在へと成長を遂げたのか……その説明に多くの時間が割かれています。

特に成功体験を誇示していたのは、『ギャグ年戦争(百年戦争)』のくだり。「テレビの歴史を変えるのはお笑いである」と定義づけた上で、絶対的勢力だったドリフランクの『全員集合』を、大英トの『ひょうきん族』によって討ち果たす様が、弾むような痛快さで語られていました。

お笑い界を変えた革命児として語られた山田邦子


この『ギャグ年戦争』における主人公格として扱われていたのが、ジャンヌ・山田ルク・クニコ(山田邦子)です。

番組で「今日絶大な地位を築き上げている」と説明が入る通り、1991年時点での彼女は、冠番組を何本も持つ、「唯一天下を取った女芸人」と称されたほどの売れっ子中の売れっ子。西洋史上もっともセンセーショナルな活躍をしたフランスの女戦士に喩えられるのも、無理はないというものでしょう。

ちなみに、2000年12月に放送されたカノッサの屈辱・特別講義でもテレビ史を取り扱っていたのですが、その時の主人公格はビートたけし(織たけし信長)になっており、1995年のバッシング報道以降すっかり過去の人となっていた山田は、出雲阿国を模した“山田のお国”なる脇役の一人に成り下がっていました。

テレ東に関する言及はほとんどなかった


こうした「1991年当時の視点から見たテレビ史」を楽しめるのが、この『カノッサの屈辱』「テレビ全史」の醍醐味。たとえば、「シャボン朝ペルシア(日テレ)の局員たちは、視聴率の恩恵を授かっている野球のメッカ・東京ドームに1日5回の礼拝を欠かさない」としていたり、視聴率争いと無縁だったテレ朝・テレ東への言及が極端に少なかったりと、なかなか興味深いものとなっています。

2017年現在、視聴率三冠王の座も、「バラエティ王国」の看板も日テレに奪われて久しいフジテレビ。テレ朝が民放2位に躍進し、自身は「振り向けばテレ東」状態に逆戻りしている現状を踏まえたうえで、もしまた「テレビ全史」を論じるとしたら、果たして、どんな色合いの歴史物語になるのでしょうか。ぜひとも見てみたいものです。


(こじへい)
編集部おすすめ