Cocco『強く儚い者たち』でブレイクもMステで逃走した過去
※写真はイメージです

あなたのお姫様は 誰かと腰を振ってるわ

いかにも爽やかなリゾートソングだと思わせておいて、大サビのシメがまさかの歌詞。不意を突かれて、なんだかゾッとしたのは、きっと筆者だけではないことでしょう。


このCoccoメジャー2枚目のシングル『強く儚い者たち』がリリースされたのは、1997年11月21日のこと。
当時新人女優だった木村佳乃が出演する「JALハワイ・キャンペーン」のテレビCMに起用された同曲は、オリコン週間チャート最高18位を記録。Coccoの中で一番売れた楽曲として幅広く認知されています。ちなみにCMでは「あなたのお姫様は…」というところで綺麗に、フェードアウトしていました。

壮絶な歌詞を書いていた初期のCocco


血にまみれた腕で 踊っていたんだ 3rdシングル『Raining』
からまる舌を 切り落としたのはあなたじゃなくて 7thシングル『水鏡』
神様がもし居るなら あなたを突き落せばいいのに。 2ndアルバム『クムイウタ』収録曲『裸体』
骨も皮も剥ぎ取って 毎日見つめて接吻を 3rdアルバム『ラプンツェル』収録曲『白い狂気』

上記は、デビューしたばかりのCoccoが書いた歌詞。
彼女にとって曲作りとは「自分の中にたまった汚いものを排出する作業」だったというから、歌詞を見るに当時、相当な心の膿を吐き出していたのでしょう。

活動休止前最後のテレビ出演で"逃走"


そのなんともいえない不安定さこそが、アーティスト・Coccoの魅力でもあったのですが、2001年、突如として音楽活動の休止を宣言します。

最後に出演したのは『ミュージックステーション』(テレビ朝日)。
Coccoは11thシングル『焼け野が原』をスタジオで歌い終わった直後、なんと泣きながら裸足で逃げていったのです。この日を境に彼女は表舞台から姿を消しました。

環境保全活動に取り組むんだCocco


再びテレビに登場し始めたのは、2006年ごろのことです。とはいっても2001年以降、何もしていなかったわけではありません。2002年には絵本作家としてデビューしていますし、2004年には尾崎豊のトリビュート・アルバム『"BLUE" A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI』へ参加し、歌手活動を再開しています。

メディアから注目されるようになったのは、故郷・沖縄に戻った彼女によって2003年に立ち上げられた環境保全プロジェクト「沖縄ゴミゼロ大作戦」が、『筑紫哲也 NEWS23』(TBS系)で取り上げられたことがきっかけでした。

同年8月15日には、『Cocco沖縄ゴミゼロ大作戦ワンマンライブスペシャル2006』が宜野湾海浜公園屋外劇場で開催され、WOWOWで生中継されたりもしました。

ちなみに、この時期発表されたCoccoの歌は、14枚目のシングル『ジュゴンの見える丘』をはじめ、沖縄色の強い楽曲ばかり。

デビュー当時は「沖縄出身だからではなく、Coccoというものだけで判断してほしい」との想いから、自作曲に沖縄っぽさを入れるのをなるべく避けていた彼女ですが、活動再開後は沖縄で暮らしているうちに、いつの間にか島人としてのアイデンティティに開眼。しまくとぅば(沖縄の方言)を取り入れたほのぼの系な曲を手掛けるなど、地元沖縄への愛情を照れくさがらず、素直に表現できるようになっていたのでした。

2009年には拒食症と自傷行為を告白


その後の彼女は、持ち前のバイタリティでいろいろなことへ挑戦するようになります。
2007年にはイギリスの大学で写真を勉強し、翌2008年には写真展を開催。2010年には初の書き下ろし長篇小説を発表。2012年には映画、2014年には舞台で女優デビューを果たしました。

しかし、その間も心の病のほうには悩まされ続けたようで、2009年に雑誌『papyrus』誌上で拒食症と自傷行為を告白。ガリガリに痩せ細り、傷だらけの腕を披露したビジュアル写真は衝撃的でした。

40歳となった現在は精神的にも安定しており、2016年には高校生になった息子とインタビューで共演もしています。
その時に見せた愛息とたわむれる穏やかな笑顔に、「あなたを突き落せばいいのに」と歌ったり、Mステで逃走したりしていたころの"不安定さ"はみじんも感じられません。

(こじへい)
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