良くも悪くも物議を醸しがちな日本テレビ系『報道ライブ ミヤネ屋』。というか、番組内容そのものより、司会の宮根誠司の言動や私生活が叩かれやすい気がするのは筆者だけではないはずだ。

いわば、根っからの「ヒール(悪役)」である。

そう思うと、この『ミヤネ屋』の前に放送されていた『THEワイド』の司会者は絶対的な「ベビーフェイス(善玉)」だった。
ソフトな語り口、にこやかな笑顔、信頼できる人格者。そう、草野仁である。

東大を主席で卒業した元NHKアナウンサーとあって頭脳明晰なのは誰もが知るところであったが、もうひとつの側面、「芸能界最強」が叫ばれるほどの圧倒的なフィジカルについては、21世紀に入ってから広く知られるようになったのではないか?

なぜなら、04年に60歳を迎えたのを転機に「還暦とは思えないマッチョキャラ」を打ち出し、自らの伝説的エピソードを様々な形で披露しているからである。
中でも記憶に残るエピソードをご紹介しよう!

相撲部でもないのに国体予選で優勝!


草野さんは少年時代から運動神経抜群。高校時代には100m11秒2の記録を持っている。これは当時のインターハイ決勝レベルだ。
しかも、専門のコーチがいるわけではなく、あくまで自己流で取り組んでいたというから凄い。

地元、島原は相撲が盛んな土地であり、草野さんも相撲にふれる機会が多かった。
といってもこちらも自己流だったが、その名は轟いていたようで、大学4年生のとき相撲部でもないのに誘われる形で国体の長崎県予選に参加している。

飛び入りにも関わらず、決勝戦まで難なく勝ち上がって行くが、8戦全勝同士で迎えたのは前年度優勝者にして120kg以上の巨漢力士。
草野さんは当時77.5kg。
さすがに厳しいかと思いきや、わずか2秒で倒しての優勝!

しかも、投げの打ち合いから同体になっての再試合だったのだが、その最初の試合で組んだ瞬間に「四つ相撲でも十分いける」と確信したというから、もはや達人の域。
一応、父親が剣道7段の達人とあって、本人も2段を取得してはいたが、あまりに畑違い。恐ろしいポテンシャルである。

ちなみに、国体自体は大学の卒論を優先し、あっさり辞退してしまっている。

初のアマレスでチャンピオンに勝利!


そして、そのナチュラルパワーを存分に発揮したのが、NHKアナウンサー新人時代のエピソードだ。
モントリオール・オリンピックのころ、NHK大阪にいた草野さん。水泳、柔道、レスリングと3種目の五輪中継アナウンサーに抜擢されたが、レスリングだけは経験がなかったことから、関係者を頼り、取材を兼ねて大学で初めてのレスリングにチャレンジ。

すると、いきなりチャンピオンクラスに勝ってしまったというからとんでもない。相手は60kgくらい、当時の草野さんは75kgくらいで体格差はあったとはいえ、通常勝利はありえない。驚異のポテンシャルである。

芸能界最強を証明した伝説の番組とは?


そんな草野さんに60歳を超えてから付いた愛称があるのをご存知だろうか?
「HBK(ヒトシ・ボッシュート・クサノ)」。
世界最大のプロレス団体WWEの当時のスター選手だった「HBK(ハート・ブレイク・キッド)」にちなんだニックネームだ。

もちろん、本人が司会を務めるTBS系『日立 世界・ふしぎ発見!』からのモジりである。
草野さんは芸能界でも1、2を争うほどのWWEマニアとあって、ネット上でいつしか生み出されたようだ。

本人も気に入っており、当時のバラエティ番組ではこの愛称の元、大活躍しているが、特に印象深いのは05年4月、日本テレビ系で放送した特番『レッスル・コロシアム 芸能界!格闘王決定戦』。
芸能人や元格闘家によるアマレス(フリースタイル)のトーナメントを行い、勝ち上がったものがHBKと対戦するという企画だった。

並み居る強豪を押さえ対戦権を得たのは、芸能界の柔道王にも輝いたことがあるマギー審司。対するHBKは当時61歳。しかし、鍛え抜かれたその胸囲は120cm! 170cm、80kgの見事なマッチョバディだ。
息詰まる攻防の中、終始力で圧倒したHBKが勝利をゲット。「芸能界最強」のウワサを見事に証明している。

そういえば、宮根誠司はプロレス好きが高じて今年の夏に54歳でプロレスデビューしているのだった。
現在73歳ではあるが、草野さんとのドリームマッチがぜひ観たい!
プロレスも総合格闘技も分け隔てなく愛する草野さん、どちらの「モード」でも盛り上がること必至である。

※文中の画像はamazonより世界ふしぎ発見! 大人の謎解き雑学 (中経の文庫)
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