
何事も重要なのは「ステージに立ち続けること」だ。
今年のM-1グランプリで漫才日本一に輝いたとろサーモンを見ていてそう思った。
とくにかく打撃に苦しんだ実松
いつの時代も、経験も信用もカネも無い若い男はこの世で一番無力である。多くの人は社会人になりたての春に、現実の厳しさに直面するのではないだろうか。ミスを笑って許してもらえる学生の身分というエクスキューズを失い、社会に出て何もできない自分と嫌でも向き合うハメになる。おじさん達は思った以上に手強い。
今回取り上げる実松一成もそこからプロのキャリアをスタートした選手のひとりだ。実松は98年ドラフト会議で日本ハムから1位指名を受けた。あの怪物・松坂大輔の外れ1位である。「松坂世代」の高卒捕手トップランナーとしてのプロ入り。しかし、とにかく打撃に苦しんだ。2年目の2000年に早くも1軍デビューも打率は1割台、02年は82試合で打率.129、03年は44試合で打率.098と悲しいことに投手よりも打てない捕手。いくら打撃より守備が重要視されるポジションと言っても、これではレギュラーへの道のりは遠い。
それが2011年5月4日阪神戦でサヨナラヒットを放ちプロ初のお立ち台に上がってから、徐々に1軍の居場所を見つけていく。この試合は自分も球場観戦していたが、小笠原道大の通算2000安打が懸かった超満員の東京ドームが伏兵・実松の一打で爆発的に盛り上がったのをよく覚えている。勝負の30歳のシーズン、20試合の出場ながらも打率.273を残し土俵際で踏ん張ると、翌12年はライバル選手の移籍に伴い第2捕手として完全に定着。巨人移籍後最多の58試合に出場すると、日本一にも貢献した。
スーパースターではない選手の生き残り方
その後、チームは世代交代を見据え13年ドラフトで社会人捕手の小林誠司を1位指名。14年シーズン以降は実松の1軍出場数も年間20試合弱に減り、17年オフには36歳の戦力外通告。しかし先日、日本ハムの2軍育成コーチ兼選手として12年ぶりの古巣復帰することが発表された。気が付けば、来季はプロ20年目を迎える。はっきり言って、実松一成はスーパースターでも一流選手でもない。絶対的レギュラーにもなれなかった。ドラフト1位でプロ入りした時の理想像とはかけ離れたキャリアかもしれない。けど、多くの同世代プレーヤーがすでに引退している中、彼は生き残った。自分の能力と役割を理解した上で、現実から逃げずにステージに立ち続けたわけだ。
不遇の20代を過ごすも、30代で仕事人として花開いた生涯一捕手。そのキャリアは若い選手たちのいいお手本になるだろう。以前、巨人のある若手捕手にインタビューした際、尊敬する先輩選手について聞いたらこう答えてくれた。
「第2捕手でいつ出番が来るか分からない状況で、いざ試合に出た時にはしっかり結果を残す。凄いですよ、実松さんは本当に凄いと思います」
【プロ野球から学ぶ社会人に役立つ教え】
20代は試行錯誤の準備期間、社会に揉んで揉まれて揉みしぐれ本当の勝負は30代から。
(死亡遊戯)