12年ぶりの古巣復帰、実松一成から学ぶ「30代逆転の法則」【プロ野球から学ぶ社会人サバイバル術】

何事も重要なのは「ステージに立ち続けること」だ。

今年のM-1グランプリで漫才日本一に輝いたとろサーモンを見ていてそう思った。
11回目のM-1挑戦、いつもあと一歩届かなかったふたりがコンビ結成15年目のラストチャンスでの栄冠。本当に良かったなと同世代の男たちから拍手。もう10年以上前、テレビで深夜放送時代の『やりすぎコージー』内でとろサーモン久保田かずのぶが実体験を元にした得意の“おさわりパブ店長DJネタ”をやっていたのを見たことがある。「嫁にも内緒で来ちゃったよ~モッコリビームは今夜だけ~」なんつって圧倒的に面白い。けど、この人ゴールデンタイムじゃ出れないだろうなあ…と余計なお世話でプロフィールを確認したら久保田氏は1979年生まれ。偶然にも自分と同い年だ。当時、社会人になりたてで連日終電までの激務、毎週日曜前の土曜深夜に眺めるテレビが唯一の楽しみだった。すべてが思い通りにいかずにイラつく日々。だから、そんな冴えない同時代を生き抜いた(と勝手に思っている)とろサーモンの優勝は本当に嬉しかった。

とくにかく打撃に苦しんだ実松


いつの時代も、経験も信用もカネも無い若い男はこの世で一番無力である。多くの人は社会人になりたての春に、現実の厳しさに直面するのではないだろうか。ミスを笑って許してもらえる学生の身分というエクスキューズを失い、社会に出て何もできない自分と嫌でも向き合うハメになる。おじさん達は思った以上に手強い。
圧倒的無力感に襲われ自己嫌悪に陥る夜。これはプロ野球選手でも同じことだ。プロ入り直後、最初のキャンプで先輩選手たちのあまりのレベルの高さに自信喪失してしまうルーキーも数多い。どこの大学出たとか、高校通算本塁打数なんて肩書きは屁の役にも立ちやしない。ちくしょうこんなはずじゃなかったマジきついっす…。

今回取り上げる実松一成もそこからプロのキャリアをスタートした選手のひとりだ。実松は98年ドラフト会議で日本ハムから1位指名を受けた。あの怪物・松坂大輔の外れ1位である。「松坂世代」の高卒捕手トップランナーとしてのプロ入り。しかし、とにかく打撃に苦しんだ。2年目の2000年に早くも1軍デビューも打率は1割台、02年は82試合で打率.129、03年は44試合で打率.098と悲しいことに投手よりも打てない捕手。いくら打撃より守備が重要視されるポジションと言っても、これではレギュラーへの道のりは遠い。
そして、2006年開幕直前に岡島秀樹との交換トレードで古城茂幸とともに巨人へ移籍。いわば“25歳での転職”だ。…と言っても、当時の巨人には球団史上最強の打てるキャッチャー阿部慎之助がいた。79年3月生まれの阿部と81年1月生まれの実松は年齢も近い同世代。これはつまりレギュラーではなく、阿部の保険的な第2・第3の控え捕手としての獲得である。栄光の元ドラ1捕手が直面する厳しい現実。巨人移籍後は07年4試合→08年7試合→09年0試合→10年2試合と1軍出場もほとんどできず、年俸もジリジリと下がり、気が付けば30歳目前。正直、実松はいつリストラされてもおかしくない状況だった。

それが2011年5月4日阪神戦でサヨナラヒットを放ちプロ初のお立ち台に上がってから、徐々に1軍の居場所を見つけていく。この試合は自分も球場観戦していたが、小笠原道大の通算2000安打が懸かった超満員の東京ドームが伏兵・実松の一打で爆発的に盛り上がったのをよく覚えている。勝負の30歳のシーズン、20試合の出場ながらも打率.273を残し土俵際で踏ん張ると、翌12年はライバル選手の移籍に伴い第2捕手として完全に定着。巨人移籍後最多の58試合に出場すると、日本一にも貢献した。
オフの契約更改では変動制の3年契約で一発サイン。しかも2000万円から倍増となる推定年俸4000万円到達。3年契約を明かした記者会見上で、実松は冗談混じりに「自分でいいのかな?」と控え目に笑ってみせた。


スーパースターではない選手の生き残り方


その後、チームは世代交代を見据え13年ドラフトで社会人捕手の小林誠司を1位指名。14年シーズン以降は実松の1軍出場数も年間20試合弱に減り、17年オフには36歳の戦力外通告。しかし先日、日本ハムの2軍育成コーチ兼選手として12年ぶりの古巣復帰することが発表された。気が付けば、来季はプロ20年目を迎える。はっきり言って、実松一成はスーパースターでも一流選手でもない。絶対的レギュラーにもなれなかった。ドラフト1位でプロ入りした時の理想像とはかけ離れたキャリアかもしれない。けど、多くの同世代プレーヤーがすでに引退している中、彼は生き残った。自分の能力と役割を理解した上で、現実から逃げずにステージに立ち続けたわけだ。
勘違いしないでほしいけど、とにかく我慢して仕事を続けろなんてド根性論を書きたいわけじゃない。諦めなければ夢が叶うってヌルいJ-POPじゃないんだから。重要なのは自分に何ができるか、どう準備すべきか徹底的に考え抜くということだ。そう、とろサーモン久保田のように、そして実松のように。

不遇の20代を過ごすも、30代で仕事人として花開いた生涯一捕手。そのキャリアは若い選手たちのいいお手本になるだろう。以前、巨人のある若手捕手にインタビューした際、尊敬する先輩選手について聞いたらこう答えてくれた。
「第2捕手でいつ出番が来るか分からない状況で、いざ試合に出た時にはしっかり結果を残す。凄いですよ、実松さんは本当に凄いと思います」


【プロ野球から学ぶ社会人に役立つ教え】
20代は試行錯誤の準備期間、社会に揉んで揉まれて揉みしぐれ本当の勝負は30代から。
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