高卒5年目の選手がNPB所属チームの本拠地球場で、1万3000人のファンから盛大に祝福されメジャー移籍。
10年前、いや5年前でもこんな光景を想像できた野球ファンはいなかったのではないだろうか? 日本ハムの大谷翔平が真っ赤なエンゼルスのユニフォーム姿を披露し、笑顔で札幌のファンに別れを告げた。
ダルビッシュ有や田中将大と比較しても、何て言うのか、ナチュラルだ。当初の予定通りにNPBを卒業して中学から高校へ進学するような雰囲気でアメリカへ。メジャー挑戦というより、まるで“メジャー進学”である。半端ないナチュラル・ボーン・メジャーリーガー感。北の大地ですくすくと成長して、わずか5年でもうここではやることがなくなった。いってらっしゃい二刀流的な卒業式ムード。アメリカではこの男の存在が先発ローテ6人体制導入のきっかけになるのではという報道まであったくらいだ。それだけ大谷の才能が規格外ということだろう。
33歳にして恵まれた環境を捨て海を渡る平野佳寿
そんな23歳の天才とは対照的に、オリックスの平野佳寿は33歳にしてアリゾナ・ダイヤモンドバックスと2年600万ドル(約6億9000万円)プラス出来高で契約を結んだ。こちらはリアルな“メジャー転職”といった雰囲気だ。絶妙なカネと夢の落としどころ。
1984年3月8日生まれの平野は来季開幕時には34歳。本人も明かしているように「(年齢的に)行くなら最後のチャンス」。
12年間過ごしたチームを離れ、アリゾナでリスタートを切る男。そうか、生活のベースを海外に移すのか……。日本国内の転勤ですら大変なのに、何より飛行機が苦手でダウンタウンのテレビ番組やラーメンや牛丼が好きな自分はそれだけで「平野すげーな」と思ってしまう。だって、このままオリックスに残留すればほとんど変わらない年俸を手にでき、気心の知れた同僚たちと日々を過ごし、引退後もコーチ業で安泰だろう。その恵まれた環境を捨て、あえて異国の地でイチからクローザーのポジションを争うわけだ。
いつの時代も、世の中には“口だけ転職”が多い。酒飲みながら「早くこんな会社辞めて独立してやる」とか夢を語る人に限って、3年後も変わらず会社に残ってる説。
20代ならまだしも、30代で環境を大きく変えるのは恐怖だ。それなりに苦労して築き上げた立場もあれば、家族のこともある。あぁどうしようかな……なんつってプロ野球選手のFA移籍でも複数チームを天秤にかけ迷ってる選手はファンの印象も悪くなりがち。ってそう言う俺らも転職時はいくつかの企業から自分に合いそうな新天地を慎重に選ぶ。そりゃあアスリートも人間なんだから悩みもあれば、時にビビるよ。その一歩を踏み出す怖さは何の職業でも変わらないだろう。
「移籍が成功だったかどうかなんて、引退してから考えること」
プロスポーツ選手の移籍について、ジュビロ磐田の中村俊輔は自著『察知力』の中でこう語っている。「移籍が成功だったかどうかなんて、引退してから考えることだ。もしかしたら引退しても分からないかもしれない。死ぬ直前ですら、成功だったか失敗だったかなんて分からないかもしれない」と。
そう言えば、平野の仕事は何度ミスっても心折れずマウンドに上がり続けるクローザーである。アリゾナ行きが成功か失敗か? 来季、ダイヤモンドバックスで活躍できるかどうかなんて分からない。けど、“33歳のメジャー転職”を決断した平野佳寿を同じ30代の男として勝手に応援していこうと思う。
【プロ野球から学ぶ社会人に役立つ教え】
転職時に重要なのは、“失敗しない”ことではなく“失敗をビビらない”姿勢
(死亡遊戯)