
主人公の少年・瀧と少女・三葉が入れ替わり、その裏には大きな事件が関わっていた……というラブストーリー。
作者・新海誠が得意としてきた「セカイ系(恋愛や成長など個人の感情を軸に、世界が動くように描かれる作品群)」を下味にしながらも、内にこもることのない、「絶対に忘れない」というポジティブな力強さで表現されている。
作中には瀧と三葉以外にもたくさんのキャラが出てくる。
中でも三葉の同級生であるテッシーこと勅使河原克彦(てしがわら・かつひこ)の存在は、「かつて主役になれなかった少年」だった男子には、刺さるものがある。
テッシーとオカルト
いがぐり頭にいいガタイ。野球部なんだろうなと思ったら、どオタクだった。
機械が大好きで、部屋中にごちゃごちゃとものが並んでいる。
MacBookをカチャカチャいじってネットを駆使している。重畳周波数など、マニアックな知識に詳しい。
瀧はかなりのリア充キャラだ。とっても真面目な好青年で、男も惚れちゃういいヤツなのは間違いない。でも「イタリアンレストランで働いている」「先輩が妖艶な美人」「学校帰りにカフェによる」って、そんな高校生いるのか。
一方でテッシーは、特に自己主張するでもなく田舎にこもっていて、大して目立たない。
三葉のような青春の反発の熱を、テッシーはオカルトに向けた。
休み時間に校庭の隅っこに行って、幼馴染二人としゃべりながら「ムー」を読み、喜々として三葉たちにアカシック・レコードの記事を見せる彼のボンクラっぽさは、瀧のメモにあった「オカルトマニア バカ イイ奴」以上になれていない。
テッシーとムーとティアマト彗星
作中で出て来るティアマト彗星が絡んだ事件の話。
三葉のお父さんも、おばあちゃんですらも怪訝な顔をしたように、そんな不可思議な事件、信じなくて当たり前。
しかし、テッシーはすぐに飲み込んだ。
三葉の言う本当か嘘かわからない言葉を信じ、それに自分の人生まで賭けた。
テッシー「落ちるんか? あれが、マジで?」
三葉「落ちる! この目で見たの!!」
テッシー「あぁ…? 見たってか!? じゃあ、やるしかねえなぁ…! これで、二人仲良く犯罪者や!」

「ムー」No.434号に、新海誠のインタビューが載っている。主にテッシーとオカルトについての、新海誠の見解だ。
テッシーが三葉を助けたのは、一つはひそかに三葉を好きだから。
(はっきりとは描かれず、しかもその後地味に恋破れたことに気づいているのが泣ける)
もう一つが、「ムー」を読むほどオカルトに対して素養があったから、と新海誠は語る。
「ラスト付近でも、テッシーは鞄の中に「ムー」を忍ばせているんです。2秒くらいのカットなんですけど、その表紙に「ティアマト彗星は人工天体だった」と書いてあるんですよ。
目立たなかった「科学」と「非科学」オタクだった少年は、電波ジャックをし、爆弾まで作って、幼馴染と一緒に犯罪者になった。
瀧が中に入った三葉とテッシーは、「やろうぜ、オレたちで!」と声をあわせた。
冷や汗をかきながら、バイクを疾走させる彼の姿は、危機感よりもワクワクの方が強い。
オカルトと科学と新海誠作品
オカルトと科学が同一に語られているのが『君の名は。』という作品だ。
宮水の血縁の話も、隕石湖の話も、彗星の話も、入れ替わりの話も、科学とオカルト両方で表現されている。
大事なのはこれらの「不思議」が、少年少女の心に深く影響を与えたということだ。
「日常とは違う、どこか遠いところにつながりたいという思いはすごくありました。宇宙的なものとか、SFや「ムー」への興味もその現れで、それらは今の映画作りに生きていると思います」(ムーNo.434より)
三葉と瀧の関係は不思議で大規模だ。前前前世からつながっているかのような強さがあった。
一方でテッシーの人生は、規模はそんなに大きくない。
とはいえラスト、テッシーがなぜあそこにいたのか、なぜひげを生やしていたのか。
「ムー」を読んで憧れてきた「不思議」を経験して成長し、自分がいる現実に向き合ったり反発したりした結果なのだろう。
新海誠が今まで描いてきた少年期の成長と多感さ、現実のギャップへの折り合いの付け方が、テッシーの姿にたっぷり詰め込まれている。
(たまごまご)