チベット仏教僧がおもてなし、ロンドンの「仏教レストラン」が前衛的だった
モダンなインテリアの店内

日本で「仏教レストラン」と聞くと、つい精進料理を連想してしまう。しかし最近のロンドンでは、どうやら趣が異なるようだ。


じつは今ロンドンで、和食とフレンチのフュージョン料理を掲げる「仏教レストラン」が騒がれている。英イブニング・スタンダード紙が「仏教レストラン」と取り上げた「フォー・ディグリー(Four Degree)」だ。

このレストランが特徴的なのは、チベット密教の名だたる高僧らを招いて、店内にて本格的な密教儀礼を執り行う一方で、料理は日本人シェフによる日仏フュージョン料理を提供するという点。日本人の中には、世俗的なレストランと神聖な仏教との組み合わせに違和感を覚えてしまう人もいるかもしれない。

一体どのようなレストランなのか。実際に訪れてみた。
チベット仏教僧がおもてなし、ロンドンの「仏教レストラン」が前衛的だった
香港と北京でオイスターバーをも営むオーナーはカキ養殖における水温の適温が4度であることに因み「Four Degree(4度)」と名付けた


店内ではどんな儀式が行われているのか


まずこのレストラン、店内には仏教寺院さながらに御本尊が鎮座している。インド・チベット密教の「赤ターラー(赤多羅)」と呼ばれる女尊だ (正式尊名「クルックラー」)。チベット密教において赤ターラーとは、異性を誘惑して引き寄せる呪術的な秘儀で主要な役割を担う「魅惑の女尊」である。この御本尊が、同レストラン2階のマッカラン・ウイスキー・ラウンジに設けられたお堂に祭られている。さらに、赤ターラーの目の前には密教法具に並んでお供え物なのかウォッカのボトルの姿も。なんとも不思議な空間だ。
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マッカラン・ウイスキー・ラウンジと赤ターラーのお堂

特異なのは仏像だけではない。
同レストランの新規開店の際には、東チベットからチベット密教の高僧が2週間にわたり招かれ、店内で密教儀礼が行われた。チベットには、マントラ(真言)と呼ばれる呪文やマンダラ(曼荼羅)と呼ばれる魔法陣で、成就法(せいじゅほう)という超自然的な呪術を実践する慣習がある。同店でもそういった儀式を期間限定で希望客に披露した。店内2階極西部の結界された一画において、3人のチベット仏教僧により「砂マンダラ」を描く密教儀礼が執り行われたのだ。
チベット仏教僧がおもてなし、ロンドンの「仏教レストラン」が前衛的だった
招かれた東チベットの仏教僧

具体的には砂マンダラ儀礼とは、チベットの伝統的なチャクプルという金属製の漏斗に色砂を入れ、ギザギザになった側面を棒でなで擦る際の振動で色砂を慎重に振り落とし、地道かつ細密に描くというもの。 「作善(さぜん)」という功徳のある行いだが、気の遠くなるような作業でもある。

1組3体の砂マンダラの個々の中心部には仏が描かれるが、主尊はもちろん赤ターラー。脇侍にはマンジュシュリー(文殊菩薩)とバジュラサットゥバが従う。砂絵を描いた僧侶によれば、赤ターラーを主尊とする砂マンダラはイギリス初とのこと。完成後、砂マンダラは壊され砂はロンドン中心地を流れるテムズ川に流されたそうで、まさに諸行無常なる世界観が広がっている。
チベット仏教僧がおもてなし、ロンドンの「仏教レストラン」が前衛的だった
店内2階で描かれた文殊菩薩の砂マンダラ


仏教を商売に使うのは不純な気がするけれど……


フュージョン料理のレストランで密教儀礼を客に見せるなんてと眉をひそめてしまう仏教徒もいるだろう。しかし、オーナーのグレース・ディンさんが仏教的な要素をレストランに取り入れた経緯は、宣伝目的ではなく、純真な仏教への信仰心からだったそうだ。

敬虔な在家の仏教徒であるディンさんは、新しい事業を展開するにあたり、商売繁盛を赤ターラーに祈願した。
そしてチベットの仏教僧を介することによって、来店客にも赤ターラーからのご利益が廻向するようにとの思いがあったそうだ。東チベットから訪英中で、同店で儀式を行ったアディック寺の高僧アダック・リンポチェさんも、今回の縁を「檀家である信仰熱心なオーナーに依頼されたことがきっかけ。仏教とレストランは分けて考えている」と語ってくれた。
チベット仏教僧がおもてなし、ロンドンの「仏教レストラン」が前衛的だった
店内にある密教女尊の赤ターラー

英イブニング・スタンダード紙は同店を「仏教レストラン」と紹介してはいるが、実際のところ仏教のコンセプトは客寄せのためだけではなく、レストランの成功への願いが込もったオーナーの信仰心が元になっているようだ。


肝心の日仏フュージョン料理はいかに?

 
フォー・ディグリーは北京出身の中国人オーナーが経営し、日本人の料理長を抱え、イギリス人向けに和食とフレンチのフュージョン料理を提供する、多文化都市ロンドンならではのレストランだ。

ここまでのフュージョン具合だと味もぼやけ気味かと思いきや、誠に本格的だ。料理長は、世界展開する高級現代日本料理店「ズマ(Zuma)」のロンドン支店や、ロンドンの1863年創業のジ・アーツ・クラブ内の会員制高級日本料理店「キュウビ(Kyubi)」で腕を磨いてきたカイ・キョウイチさんが務める。
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シェフのカイ・キョウイチさん(中央)とすし職人のガストボ・ベッレイさん(右)

カイさんは「当初は和食とフレンチを半々でやろうとしましたが、結局、和食を主体に少しだけフレンチのひねりを加えることにした」と和食主体の日仏フュージョン料理に落ち着いたいきさつを教えてくれた。例えば今回注文した「フォアグラの照り焼き」もフランス料理に使われる「フォアグラ」と海外における日本食の定番「照り焼き」を掛け合わせた、同店のコンセプトを代表するような一品だ。

表面が甘だれで照り焼きにされたフランス産フォアグラの中身はまろやかで、 同じくフランスはペリゴールから取り寄せた冬の黒トリュフのスライスとマンゴーピューレが、照り焼きの香ばしさに一層の芳醇さを与える。さらに上に散らされたレモンゼストの清涼感がしつこさを抑え、下に敷いたホウレンソウが全体の味を整える。
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照り焼きフォアグラ

すしも粋だ。
例えば軍艦巻き。

「フォアグラの軍艦巻き」はフォアグラに甘だれをかけ、そこに生おろしワサビを効かせている。まろやかな食感は穴子寿司のようである。黒トリュフのスライスを添えた「うずら卵の軍艦巻き」は、トリュフソースかかった半熟卵のより濃厚なとろみが絶妙な仕上がりだ。
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フォアグラの軍艦巻き(左)とウズラ卵の軍艦巻き(右)

デザートもフュージョンしまくっている。「バナナみそ」は、下から生バナナアイスクリーム、キャラメルみそソース、そぼろ状のほろ苦い塩チョコレートが層を成す。控えめな甘さが塩気に引き立てられた上品な仕上がりにはふと落ち着きを覚えてしまう。食用の金粉と黄色いパンジーの花の飾り付けがダークなチョコの色に映え、見ても食べても美味しい一品だ。
チベット仏教僧がおもてなし、ロンドンの「仏教レストラン」が前衛的だった
バナナみそ

食後の飲み物には、「saikai (再会)」という今流行りの「酒カクテル」を頼んでみた。梅酒、シェリー、ポートのベースに、チョコレートと栗のビターズ、蓮の実シロップ、イタリアの苦みのある薬膳種フェルネット・ブランカを加え、木香の煙でスモーキーさを醸し出した苦心の作だ。同店のカクテルメニューは、仏教における時間の概念「三世」をテーマに「過去世」「現在世」「未来世」と分類されていて、近未来的な「saikai」は「未来世」に属している。
チベット仏教僧がおもてなし、ロンドンの「仏教レストラン」が前衛的だった
デザート酒カクテル「saikai (再会)」

フォー・ディグリーの食体験では、その異文化の壁を乗り超えた前衛的な食芸術により五感すべてが刺激され、第六感とも言うべき仏教の精神世界をも開拓できる。
それは仏教を通じて近未来の新しい食のあり方を提示しているようだった。
(ケンディアナ・ジョーンズ)
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