
30年早かった「断捨離」生活
同業者の山田太一によれば、早坂暁は自宅を持っておらず、ホテル住まいであったという。持っている物も極力少なくしていて、あるときまではカバン2個分だったが、やがて1個に減らしたらしい。本人いわく《ホテルだからね、出るときに、それ以上の荷物があると面倒でしょう。とにかくなんでも捨てちゃうの。靴は一足買ったら、つぶれるまで履いて捨てる。本は図書館で読む。着るものも、いくらもありゃあしない》(山田太一『いつもの雑踏 いつもの場所で』新潮文庫)。これが1982年頃の話である。いまでいうところの「断捨離」を、早坂は30年以上も前から実践していたのだ。
早坂がカバンを2個から1個に減らしたのは、心臓が悪いと診断され、「何となく体の左側をいたわろうと思って」という理由もあった。彼は50代に入ったこのころ、心筋梗塞、胃潰瘍とあいついで病を経験していた。心筋梗塞の治療のため、心臓のバイパス手術の準備中には、胆嚢がんの診断も受けている。結局、それはあとになってがんではなかったとわかるのだが、彼はそうした体験を糧に、さらなる新境地を切り拓いていった。