昨年12月に88歳で亡くなった脚本家の早坂暁を追悼して、その代表作の一つであるドラマ「夢千代日記」全5話(1981年)が本日と明日、NHK総合で再放送される(きょう8日は午前10時55分から第1回、深夜1時55分から第2回・第3回が放送。残る第4回・第5回は明日深夜に放送。
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「夢千代日記」脚本家・早坂暁が三谷幸喜に投げかけた「疑問」8日9日一挙放送
早坂暁脚本・吉永小百合主演によるNHKドラマ「夢千代日記」DVD。その脚本は続編とあわせて、勉誠出版刊の「早坂暁コレクション」で1冊にまとめて収録されている

30年早かった「断捨離」生活


同業者の山田太一によれば、早坂暁は自宅を持っておらず、ホテル住まいであったという。持っている物も極力少なくしていて、あるときまではカバン2個分だったが、やがて1個に減らしたらしい。本人いわく《ホテルだからね、出るときに、それ以上の荷物があると面倒でしょう。とにかくなんでも捨てちゃうの。靴は一足買ったら、つぶれるまで履いて捨てる。本は図書館で読む。着るものも、いくらもありゃあしない》(山田太一『いつもの雑踏 いつもの場所で』新潮文庫)。これが1982年頃の話である。いまでいうところの「断捨離」を、早坂は30年以上も前から実践していたのだ。

早坂がカバンを2個から1個に減らしたのは、心臓が悪いと診断され、「何となく体の左側をいたわろうと思って」という理由もあった。彼は50代に入ったこのころ、心筋梗塞、胃潰瘍とあいついで病を経験していた。心筋梗塞の治療のため、心臓のバイパス手術の準備中には、胆嚢がんの診断も受けている。
結局、それはあとになってがんではなかったとわかるのだが、彼はそうした体験を糧に、さらなる新境地を切り拓いていった。

早坂の代表作といえる作品の多くは、闘病を挟んだ40~50代に書かれたものだ。もともと草創期のテレビ業界で、ドラマだけでなくドキュメンタリーやバラエティなども手がけていたせいか、その作品はじつに多彩である。

たとえば、江戸時代の本草学者・平賀源内を主人公とした時代劇「天下御免」(1971~72年)は、現代の世相への風刺も交えて高視聴率を記録した。「夢千代日記」のあと、同じくNHKで放送されたドラマ「花へんろ」(1985~88年)では、実家である愛媛の商家を舞台に、大正から昭和の戦前・戦後を描いた。吉永小百合が死刑囚を演じて話題を呼んだ映画「天国の駅」(1984年)や、差別に抵抗した在日韓国人を描いたビートたけし主演のドラマ「実録犯罪史 金(キム)の戦争」(1992年)など、現実の事件に取材した作品もある。映画では、「超能力者 未知への旅人」(1994年)や「北京原人 Who are you?」(1997年)など意外な作品を手がけていたりもする。小説やエッセイも著し、自らの旧制高校時代をつづった自伝的小説『ダウンタウン・ヒーローズ』(1986年)は、山田洋次監督で映画化もされた。

ミステリー仕立てで展開する「夢千代日記」


そんな膨大な早坂作品のなかでも、のちに映画による完結編も撮られた「夢千代日記」はきわめて重要な作品だ。このドラマについては、「広島で胎内被爆した芸者を主人公にしている」と紹介されがちなだけに、観る側には身構えてしまうところがある。だが、実際に観てみると、ミステリーの要素も強く、緊張感ある展開にぐいぐい引きこまれていく。

舞台は、兵庫県の日本海側(劇中では「裏日本」という言葉が頻繁に出てくる)のひなびた温泉町。神奈川県川崎で男を殺した女を追って、彼女が芸者をしていたこの町へ山根(林隆三)という刑事が赴く。
主人公の「夢千代」こと左千子(吉永小百合)は、その女「市駒」を預かっていた置屋の女将で、自らも芸者としてお座敷に出ていた。

夢千代の置屋にいる芸者たちはみな、わけありの者たちばかりであった。夢千代は彼女たちの過去を問わずに受け入れていたが、山根が来てからというもの、そこにさざなみが立ち始める。肝心の市駒は置屋のすぐ近くまで来て、夢千代に何度も電話をかけてくるが、なかなか姿を現さない。その間に山根は倒れるも、しかし意地になって市駒を待ち続ける。

わけありなのは芸者だけでなく、その周辺にいる町医者(ケーシー高峰)や、ストリップ小屋などを仕切る地回りのやくざ(長門勇)も同様だった。「夢千代日記」は、そんな温泉地で生きる者たちの人間模様を、哀しく、ときに笑いも交えながら描き出す。旅回りの芝居一座に熱を上げる芸者「菊奴」の役でコメディエンヌぶりを発揮する樹木希林や、場末のストリップ小屋の踊り子と照明係の男をそれぞれ演じている緑魔子とミュージシャンのあがた森魚も、物語にいろどりを添えている。

「悲劇と喜劇を背中合わせでやっていくところが面白い」


早坂暁が「夢千代日記」を書いたそもそもの動機は、彼が戦時中、原爆投下直後の広島を目の当たりにした経験にある。当時15歳だった彼は、終戦から1週間後、山口県防府にある海軍兵学校から郷里の愛媛に引き揚げる途中、広島を通過した。それは雨降る晩で、ホームから街を眺めると、おびただしい遺体から燐が雨で発火して、青白い炎があちこちで燃えていたという。広島の原爆では、早坂の妹も亡くなっている。

しかし、原爆というテーマはテレビドラマの企画としては通りにくいものであったようだ。
それ以前、早坂は古くからの付き合いである渥美清の主演で、「ピカドンの辰」というドラマを考えたことがあった。それは、広島で被爆し、背中にキノコ雲の刺青を彫ったテキ屋を主人公としたもので、渥美も乗り気だったという。しかしどのテレビ局も、被爆者の気持ちを逆撫ですると尻込みして、この企画は実現しなかった。渥美が、「ピカドンの辰」ならぬ「フーテンの寅」というテキ屋に扮したドラマ「男はつらいよ」が始まったのは、その直後のことだ。同作はやがて映画化され、25年以上続く長寿シリーズとなる。

「夢千代日記」も、NHKからの依頼に対し、当初は原爆がテーマであることは伏せ、あくまで芸者の話だと言って企画を通したという。そのせいもあってか、劇中では、原爆の惨禍を直接的に示す描写は少ない。それでも、広島で胎内被爆した夢千代の孤独感を通して、人間の体ばかりか心にも大きな傷を残す原爆の恐ろしさは十分に伝わってくる。

原爆や戦争という大きなテーマを、早坂は、悲喜こもごもの人間ドラマに織り込んでみせた。「夢千代日記」をあらためて通して観ると、そのストーリーテリングの巧みさに感服させられる。

早坂が渥美清のため前出の「ピカドンの辰」を書こうとした背景には、人気者となった渥美が、テレビでも映画でも笑いばかりを要求されていることへの不満があった。これについて彼は渥美の死後、次のように書いている。


《いや、笑いはあっていいのだけれど、彼には笑いと同量の悲しみがある。笑いを表地(おもてじ)にすれば、同じほどの悲しみの裏地を付けなければならない。渥美清は笑い顔もいいけれど、怒りや悲しみの顔のほうがずっと凄いのである》(「文藝春秋」1996年10月号)

「笑いを表地にすれば、同じほどの悲しみの裏地を付けなければならない」との考えを、早坂は以後も貫くことになる。そのため、単に面白さを追求する姿勢には懐疑的であった。早坂の「天下御免」に大きな影響を受けた三谷幸喜についても、次のような疑問を投げかけている。

《[引用者注――三谷幸喜作の]大河ドラマの『新選組!』はもうちょっと面白くできたと思いますよ。結局、彼らは幕府側のテロ集団ですから。「テロとはつらいよ」というのを描けばいいのに……そうじゃないんですね。彼はなにか「面白く」しなきゃいけないと思ってるんじゃないでしょうかね。僕は面白くしようと思って描いたことは一度もないですよ。シェークスピアにしたって、ぜんぶ悲劇ですよ。悲劇を描いているんだけど、喜劇なんです。
悲劇と喜劇を背中合わせでやっていくところが面白いんですよ》
(「週刊金曜日」2016年5月27日号)

21世紀は「水のつながり」が大事になると“予言”


早坂はいまから28年前、1990年に行なった講演のなかで、家族のように血でつながった関係が崩壊しつつあるのだから、これからは、他人どうしの関係――「水のつながり」を大事にしたらいいのではないかと提案していた。

《血でつながると、恨みとか、愛憎が強く出てきますから、水でつながったほうが淡白で、さっぱりとしていて、いいです。あとくされもないし、要求すること、もたれかかりも少なくなります。二一世紀は、どれだけ上手に水でつながることができるかどうかによって、悲惨な人とうまくいく人とに分かれてくるでしょう。血に執着する人は二一世紀でものすごく悲惨になると思います。水の連帯のことを考える人は、わりと二一世紀もうまくいくのではないでしょうか》(早坂暁『恐ろしい時代の幕あけ ドラマと人間』岩波書店)

早坂の作品からして、血のつながりを描くホームドラマは少なく、他人どうしが集まって暮らす「水の関係」を描いたものがほとんどだ。「夢千代日記」はまさにそれに当てはまる。同作に続くドラマ「花へんろ」も、旅館を営む家族を中心にしながらも、そこで描きたかったのは、家ではなく、地域とそこに生きる人々であったという(『放送文化』1997年7月号)。

早坂はまた、漂泊の俳人・種田山頭火のドラマを書いたこともあった。これはもともと渥美清を主演に撮るつもりであったが、撮影直前になって渥美が体の不調を理由に降板したため、結局、フランキー堺を代役にしてNHKで放映されている(「山頭火 何でこんな淋しい風ふく」1989年)。

約30年間、ホテル住まいを続け、ほとんど物を持たなかった早坂の暮らしぶりも、山頭火のような漂泊の人生を意識してのものだったのか。いずれにせよ、現代人の抱える孤独を、他人とのつながりから乗り越えようという彼の考え方には、ルームシェアがさほど珍しいものではなくなり、他方で、家族のもとを離れて老後をすごす人が増え、また孤独死が社会問題化しているいまから思えば、先見の明を感じずにいられない。


※「夢千代日記」は現在、NHKオンデマンドでも配信中。購入期限は1月31日まで。
(近藤正高)
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