
こんにちは。マドカ・ジャスミンです。
前回は自分のルーツについてお話しましたが、今回はより細かく自分が“どう”考えて生きてきたかをお話させていただきます。
皆さん、恋愛していますか?
片思い・両想い・交際など恋愛の形はさまざまで、そこから生まれる問題もさまざま。
アプローチしているのに上手くいかなかったり、好意を抱いていない人から好かれたり、付き合ってみたものの上手くいかなかったり……なかなか綺麗にまとまらない。
そういったものも恋愛の醍醐味とはいえ、解決できないことが続くと、当然のごとくフラストレーションも溜まっていきますよね。
先に結論からいうと、私はそのフラストレーションから、JK時代に逆ナンパをしていました。

私が逆ナンするに至った経緯
なぜ幼い少女が年に不相応な行動に移ったか。
それは、中高生時代はこのような悩みを抱えていたからです。
同い年および、学校内の年の差(±1歳)の男性にまるでウケない
年の差補正はもちろんですが、小学校高学年から妙に大人びていたせいか、5歳以上の男性へのウケは大笑いするほど良かったけれど、歳が近い人たちからはまるでウケない。本当にウケない。当時仲が良かった友人たちは非常にモテる子たちだったのもあって、彼女たちのモテ話を日々不思議そうな顔で聞いていた日々が懐かしいです。

そもそも、中2で初めてちゃんと恋をした相手は9歳上の大学生。彼には散々甘やかされていたし、年上男性たちからの「マドカちゃんは絶対年上がいいよ!」という謎の吹き込みを信じ切っていました。
いつしか、「学校内の男の子たちにアプローチすべきじゃない」という考えにまで至り、今まで自分に対し好意(まあ下心だよね)を示してきてくれた男性の年齢と自分が恋愛対象にしたい男性の年齢をすり合わせ、どの層にアプローチすればいいのか……どうすれば効率的に彼氏ができるのか……言ってしまえば、自分の市場価値を洗い直しにかかったのです。

その結果、「学校内の男の子たちにアプローチすべきじゃない」と決意し、逆ナンという荒業を選ぶことになりました。
しかも、同い年相手ならまだ可愛いものの、私は市場価値に則り、
街中で20歳以上の大学生~20代後半(4~13歳上)と思われる男性への逆ナンパを決行。
「学校内で、生活圏で出会えなければ、出会いに行くしかないじゃない」戦法です。
声をかける人を決めるために設定したルール
高校へは、神奈川の一大ターミナル駅である横浜駅を経由しての通学だったので、主戦地はもっぱら横浜駅。カフェなどのお店はもちろん、コンタクト屋さんで順番待ちをしていた時にかっこいいなと思った男性に声をかけたこともあります(そして、この人とは半年ほど週末を一緒に過ごす関係になった)。
ただ闇雲に声をかけていたわけでもありません。これは中学生の時もでしたが、【目星を付けた人を同じ日に3回見かけたら声をかけるルール】を設けていました。
今も厨二病であることに変わりはありませんが、当時は厨二病全盛期。「運命」というものを頑なに信じ憧れ、追い求めていた年頃。上述のコンタクト屋さんで見かけた男性も、コンタクト屋さん・駅の通路・駅のホームで3回見かけたから声をかけました。
そうやって声をかけ続け、声かけの数と比例して、異性からチヤホヤされることも目論見通りにどんどん増えていったのです。でも、チヤホヤされる理由が“私”だからではなく、“JK”だったから、なんてつゆ知らず……。

気づいたのは、自分が成人を迎え、同年代や歳の近い異性たちと交流する機会が多くなってから。
「やっぱりJCとかJKはいいよなー!憧れる!」「あらゆることを教え込みたいわ」「十代とヤってみたい」「まあでも、本気で付き合うのは無理」
「絶対に無理。ガキなんて面倒くさい(笑)」
JKだった自分が考え抜いて導き出した起死回生の作戦も、所詮はガキの戦略以外の何物でもなかったわけです。
気づいて変わった“恋愛に求めるもの”
時は現代。ここ1年で好きになったり、付き合ったりした人は5人。その内、9歳上が1人、3歳上が1人、1歳上が1人、同い年が……なんと2人。皮肉にも、3/5は自分が数年前に「NO」を示していた“学校内の男の子”です。
別に年上男性と付き合いたくないという意思があるわけではありません。精神的にも、経済的にも、頼れるのはやっぱり年上男性に違いない。だけど、昔と決定的に違うこと。それは「好きな人は親でも兄でも飼い主でもなくパートナーだ」と強く思うようになったことです。
正直な話、昔は“好きな人=保護者”を追い求めていて、きっと相手にも伝わっていたと思います。
何より、
白馬の王子様は街中になんて存在しない。
白馬の王子様は、自分自身の心の中のみに存在する。
いつしか保護者でもなく、存在しない白馬の王子様でもなく、「隣で共に戦い、励まし合えて、一番信頼できる人」を求めるようになったのは、その気づきによるもの。
人それぞれ、恋愛に何を求めるかは自由です。でも、自由なのと固定概念に支配されるのは、まるで別物。「恋愛はこうあるべき、こういう相手とすべき」。そんなことにがんじがらめになっても、王子様は助けに来てくれなんてしない。底無し沼に沈み、どんどん息苦しくなるだけ。
ま、自由と言っても、JC・JKに手を出すアホンダラは滅してくれ、と経験者は思うのでした。

次回へ続く!(のか?!)
(マドカ・ジャスミン)