
「絶望的なルーティーンだよなぁ」なんつってバイきんぐの小峠はカメラの前で笑った。
テレビ東京の『昔ココ住んでました!って芸能人がいきなり訪ねるTV』という番組で、20代の売れない若手時代に住んだアパート周辺を歩き、多摩川河川敷の階段に座り、ラジカセを置いて、ずっとビールを飲み続けた日々を振り返っていた。

出口の見えないモラトリアム。誰にでもそんな時期があるのではないだろうか。いまや平成球界を代表する投手となったあの男も19歳の1年間、浪人生活を送っている。メジャーリーガーの上原浩治だ。98年秋のドラフト逆指名で巨人入りをすると、99年シーズンはいきなり開幕ローテ入りして、5月30日阪神戦から9月21日阪神戦まで破竹の15連勝を記録。最終的に20勝4敗、防御率2.09、179奪三振という驚異的な数字を残し、最多勝、防御率、最多奪三振、最高勝率、新人王、そして沢村賞とあらゆるタイトルを独占してみせた。ちなみに同年のパ・リーグ最多勝は松坂大輔。両リーグでルーキーが最多勝に輝き、さらに「リベンジ」と「雑草魂」で流行語大賞を獲得するという歴史的なシーズンだったわけだ。近年の巨人ドラフト1位選手の苦戦ぶりを見ていると、上原の凄さをあらためて実感する。
大学日本代表で活躍してからドラ1で巨人入り、即20勝を挙げた規格外の上原がなんで「雑草魂」なのか? 遠征時に紙袋に荷物を詰めていたから……っていやそこではない。
浪人生活が転機となった上原
予備校では格好付けずにレベルが最も低いクラスを選択し、朝9時から午後4時までがっつり勉強する日々。家に帰ると晩ご飯を食べたあと2時間ほど勉強して就寝。凄い、同じく浪人生活を送った俺が大宮駅前のゲーセンと書店とエロDVD屋の絶望的なルーティーンで毎日10時間過ごしていたのとは雲泥の差だ。勉強に燃える上原は、身体がなまらないように週3回の筋トレを欠かさなかったが、大好きな野球は月に1回、近所のおっちゃんの草野球に混じらせてもらう程度だった。
そんな気分転換の遊びの野球をしている自分とは対照的に、同い年の選手はプロ野球や大学球界に飛び込み、慶応大の高橋由伸や明治大の川上憲伸らは華々しい活躍をしている。だが、ここで腐るのではなく、「ちきしょう……いつか自分も彼らに追いついてやるぞ」と対抗心を燃え上がらせる反骨の上原少年。ちなみにあの巨人と中日の伝説の優勝決定試合「10.8決戦」が行われていた頃、のちの巨人のエースは浪人生活真っ只中である。

見事、希望の大阪体育大学にリベンジ合格を果たした上原はアルバイトに励む。スーパーの店員、引っ越しの手伝い、工事現場の旗振りまで。
先日、アメリカのスーパーでカートに乗って炎上かました野球選手がいたが、高校時代からやんちゃなスーパースターのままプロ入りした人間にはできなかった貴重な人生経験を積んだ上原は、大学に入学すると、地道な筋トレの効果か高校時代より球速が10キロ以上もアップして優に140キロを超えていたという。1年生の6月に出場した全日本大学野球選手権で当時プロ注目の東北福祉大・門倉健と投げ合い、初回に1点を失うも、15奪三振を奪う快投で上級生の門倉と互角に渡り合う。思わず、プロのスカウトも「あの1年坊主は誰だ?」と驚くわけだ。
結果的に受験失敗からの浪人生活が野球人生の転機となった上原。先日、去就も注目されるなか、今季限りの現役引退を示唆したことがニュースとなったが、42歳の昨季もメジャーで49試合登板とまだその力は健在だ。日米で数々の栄光に輝いた日本人初のワールドシリーズ胴上げ投手のキャリアは、すべてはあの1年から始まったのだ。
ちなみに上原がプロ入り後も背負い続ける「背番号19」は、浪人時代の19歳の気持ちを忘れないためだという。
【プロ野球から学ぶ社会人に役立つ教え】
失敗は成功のマザー。(長嶋茂雄)
(参考資料)
『闘志力 人間「上原浩治」から何を学ぶのか』(創英社/三省堂書店)