
「3の倍数と3の付く数字でアホになる」というナンセンスなネタや「オモロー!」の決め台詞が流行した世界のナベアツ。あら削りな一芸を持ったパフォーマーを紹介する『あらびき団』(TBS系)や、1分ほどのショートスタイルのネタを披露する『爆笑レッドカーペット』(フジテレビ系)といった2008年前後に人気だったテレビ番組で、ピン芸人として知名度を一気に上げた。
しかし、あれから約10年が経過した今は「桂三度」という高座名の落語家として高座にあがり、メディアに出るどころか、「世界のナベアツ」名義では活動をしていない。
コンビ解散後に放送作家として活躍
「世界のナベアツ」「桂三度」こと渡辺鐘さん(本名)は、山下しげのりさん(現在は、インタビューマン山下)とのお笑いコンビ「ジャリズム」を1991年に結成。千原兄弟らとともに大阪の吉本興業の劇場で活躍し、1994年には第15回ABCお笑い新人グランプリ審査員特別賞を受賞している。
ほどなく東京へ拠点を移し『エンタメゆうえんち 東京移住計画』(フジテレビ系)、『はばたけ!ペンギン』(TBS系)など露出を増やし、全国区になるべく奮闘していた。その当時、『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ系)の中で松本人志さんが「千原(兄弟)もジャリ(ズム)も頑張って」と今田耕司さんら若手たちに対しボケたことを筆者は強く覚えている。松本さんが後輩芸人の名前を口にすることなどほぼなかった中で、同じ事務所とは言え後輩のコンビ名でボケたのは松本流のエールだったのだろうか。
しかし、東京での認知度を高めつつあった1998年12月、突然の解散。きっかけは山下さんからの申し出とのことだが、「コンビ芸人としてまあまあ売れていたけど、地に足がついてない自分が嫌だった」と女性自身のインタビューで明かしている。放送作家に転身した後は、『笑っていいとも!』『めちゃ×2イケてるッ!』『空飛ぶ!爆チュー問題』(すべてフジテレビ系)、『アメトーーク!』(テレビ朝日系)など名だたるバラエティ番組を担当し売れっ子に。

コンビ再結成 「世界のナベアツ」に
順調に放送作家として活躍していた渡辺さんは、2003年10月に千原兄弟に誘われ久々に芸人として舞台に立つこととなる。その模様を見に来た松本さんが、ネタが作れない山下さんが芸人を辞めて違う仕事に就く準備をしている、と告げたのだった。窮状に陥っている山下さんの近況と、芸人として笑いを取る快感を知った渡辺さんは、コンビの再結成を決断する。
そして、放送作家業を併行しつつ、漫才師・ジャリズムとして『M-1グランプリ』への挑戦、加えてソロでの「世界のナベアツ」で大ブレイク。『R-1ぐらんぷり2008』(関西テレビ系)では決勝まで勝ち進み3位になり、冠番組『なべあちっ』(フジテレビ系)への出演や、2010年に公開された映画『さらば愛しの大統領』では共同監督を務めるなど多岐に渡る活躍をする。
落語家としての実力を着実につける
しかしながら、ジャリズムは“再”解散し落語家への転身を決意。2011年3月のことだった。理由は、前述の女性自身インタビューによると、再結成しても「完全に地に足がついたとは思えなかった」からで、一度目の解散時にも「落語家か放送作家になる」という考えがあったと言うのだ。
ナベアツとしてブレイクした結果、休みは年3日の仕事漬けになり、妻とも離婚寸前に。落語家転身の会見では「ずいぶん前から、落語家になりたいと思っていた。昨年末に監督した映画(著者注:『さらば愛しの大統領』)も公開になって、このタイミングだと思った」とまで語っている。芸人としても夫としてもフラストレーションが溜まっていたのだろうか。41歳、最後のチャンスに人生を賭けた。
落語家修行してしばらくは、コントや漫才との“間”の違いや、年下の兄弟子への接し方、そして高齢での弟子生活における肉体的な負担を感じることが多かったようだが、芸人と放送作家で培った人間力でカバー。痛かったのは収入が10分の1になったこと。妻も古いママチャリを買い換えずに節約に協力し、夫の挑戦を静かに見守ったという。
肝心の落語の実力はというと、東西の若手落語家が一堂に会する唯一のテレビコンテスト『NHK新人落語大賞』で予選を勝ち抜き、2014年、2016年、2017年と3回も本選に進出。
3月30日には同じくテレビの売れっ子から落語に道を求めた月亭方正さんらとともに、新宿・末廣亭の深夜寄席「よしもと落語」に出演する。東京落語の本拠地のひとつであり、渋い雰囲気を醸し出す築70年余の木造建築の由緒ある寄席。さらに、いわゆる本公演に該当する定席にも出演が決定。4月中席(11~20日)の中で上方の落語家が交互に登場するゲスト枠の中で16、17日の2日間に渡る登場だ。入門8年目では、抜擢と言っても過言ではないだろう。
三度の転身を果たした渡辺さん。コンビの解散、放送作家での成功、再結成、ピン芸人でのブレイク、再解散と紆余曲折を経た、ブレてばかりの芸人人生だからこそできる幅のある落語。それが完成するのはいつになるだろうか。日刊スポーツのインタビューに本人はこう語っている。
「まあ30年はかかると思いますが頑張ります」
(小島研一)