「いいとも青年隊」といえば誰を思い浮かべるか?
この質問をすれば大体察しが付く、相手の年齢。「野々村真・羽賀研二」なら40代後半以上、「工藤兄弟」なら30代後半~40代前半くらい、「あさりど」なら30代前半~30代中頃…。
With Tの岸田健作じゃないほうの名前、覚えてる?
2人組タレントユニット・With Tのいいとも青年隊在任期間は、1997年3月31日から2000年3月31日にかけての3年間。というか、With Tの岸田健作さんじゃないほうの名前を覚えている人は、関係者以外にいるのでしょうか…。答えは、小笠原秀春さん。名前を提示されてもピンとこないはず。筆者もそうです。岸田さんがタモリさんに弄られているときに、横でほがらかに笑っているシーンがおぼろげながらかろうじて浮かぶ程度の印象しかありません。
なお、With Tのいいとも青年隊卒業後、すぐに小笠原さんも芸能界から足を洗っています。あくまでも私見ですが、きっといいとも出演の3年間、岸田さんの活躍を間近でまざまざと見せつけられて、そのタレントとして華の差に絶望した挙句に、下した決断なのではないでしょうか。それほどまでに、岸田さんのキャラは立っていました。
19歳でいいとも青年隊デビュー
小笠原さんはもちろんのこと、岸田さんについても記憶があいまいな方がいるかと思うので、説明しておきましょう。岸田さんが芸能界デビューしたのは18歳の時。19歳で10代目いいとも青年隊に抜擢され、「お昼休みはウキウキウォッチング♪」の出囃子時に、手持ちマイクで歌うタモリさんの横で、キレッキレのダンスを披露していました。
ダンスのキレは抜群で、ルックスも、当時流行りの渋谷のギャル男ライクなイケメン顔。
時にレギュラー陣が霞むほどにいいとも内で存在感を放っていた岸田さんは、青年隊卒業後、月曜日レギュラーとして異例の再登用。これは岸田さん以降だと、2008年3月31日~2010年4月2日にいいとも少女隊として活動し、その後、2011年10月から2014年3月末の最終回時までレギュラーだった渡辺直美さんしか成し遂げていない快挙です。
“芸”がないことに思い悩んだことも…
晴れていいともレギュラーに抜擢され、“全国区の一流タレント”としての箔がついた岸田さんは、ますますテレビに引っ張りだこになります。バラエティでは、持ち前のおバカキャラを活かして、『ロンドンハーツ』(テレビ朝日)などで活躍。また、ドラマ『お水の花道』『私を旅館に連れてって』『スタアの恋』(いずれもフジテレビ系)に出演するなど、俳優としてもキャリアを重ねました。はた目から見ると、いかにも順風満帆な芸能生活です。
しかし、岸田さんは25歳を過ぎたあたりから、ある悩みを抱えていたそうです。それは「自分には芸がない」ということ。いやいや…キャラは立ってるから十分なのでは?と思ってしまいますが、いずれにしても、人生100年時代において1/4を経過した時点で多くの人が感じるといわれる「このままでいいのだろうか…」という危機感「クオーターライフ・クライシス」に岸田さんも陥ってしまったらしく、日々悶々とした挙句に、なんと、「芸能界を辞めて、ホームレスになる」という斜め上の選択をします。都内に実家があるにもかかわらず、です。岸田さん26歳の時でした。
ホームレス⇒現在はミュージシャン・俳優として活躍
ホームレス生活を送るために選んだ場所は、代々木公園。ここでミュージシャンやダンサー、芸人を目指して練習に励む若者たちの「熱」に触れれば、何か刺激を受けるんじゃないか…そう考えて、夏場の2か月あまり野宿していたといいます。
この過酷だったというサバイバル生活が何らかの起爆剤になったのか、岸田さんは、2010年ごろより芸能界に復帰。2011年には主演映画『COOL BLUE』が公開され、2012年には先述のホームレス生活をまとめた本も出版。現在では、ビジュアル系ミュージシャン、ボーカリスト、俳優、さらにはドラマの脚本・演出、プロモーションビデオの制作・編集など、「自分には芸がない」と憂えていた人間とは思えないほどマルチに活動しているのだとか。ここまでいろいろ手を出しているのだから、そのうち、小笠原さんとの「With T再結成」もゼロではなさそう。そうなったら、ぜひ、タモリさんの横であの音楽に乗せて、往年の踊りを披露してもらいたいものです。
(こじへい)