神楽「たぶん、入間さんの考えと同じです。あいつをもう一度殺してください」
6月7日(木)放送の木曜劇場『モンテ・クリスト伯 ―華麗なる復讐―』(フジテレビ系列)第8話。
復讐対象である入間公平(高橋克典)、神楽清(新井浩文)、南条幸男(大倉忠義)の3人が、モンテ・クリスト・真海(ディーン・フジオカ)の正体に気づいた。それをわかっていながらも、あくまで「真海」として振る舞う柴門暖。ふざけているのか、それとも追い詰められつつあるのか。

「幸せにはなれないんだと思います、他人を不幸にしても」
マネージャーとして幸男に近づいていたエデルヴァ(桜井ユキ)。幸男を自殺させる予定だったが、幸男の娘・明日花(鎌田恵怜奈)に情が湧き、彼を助けてしまった。
そのため、真海はグラスや窓ガラスを破壊するほど怒り、エデルヴァを追い出そうとする。
エデルヴァ「真海さんは、復讐が終わったらどうするつもりなんですか」
真海「もう君は自由だ」
エデルヴァ「幸せにはなれないんだと思います、他人を不幸にしても」
真海「私の幸せは、私が決める」
「幸せ」というワードが出てきた。エデルヴァは、憎い幸男を殺せば自分は幸せになれると思っていたのかもしれない。でも、自分と同じように親を亡くす明日花のことを思うと、幸せにはなれなかった。
でも、真海は違う。もともと幸せになるために復讐を計画したわけではなく、自分と同じ苦しみを味合わせたい一心だった。復讐が終わったあとの自分がどうなるかなど考えず、目標に向かって突き進んできた。
真海とエデルヴァに殺されかけた幸男。
すみれの首にドライバーの先を突き付ける幸男。愛するすみれと明日花との「幸せ」は、もう失われた。かつて幸男は、暖という他人を不幸にして幸せを手に入れた。けれど、エデルヴァの言うとおり、他人を不幸にしても完全に幸せにはなれなかった。
公平の娘・未蘭(岸井ゆきの)を殺そうとしていた瑛理奈(山口紗弥加)も、未蘭が倒れたことで、公平が自分より未蘭を大切にしていることを目の当たりにする。他人を踏みつけてでも自分が幸せになろうとする人が不幸になっていく。
逆に、自分を投げうってでも他者を守ろうとしている神楽留美(稲森いずみ)は、不幸の中に幸せを見出しつつある。真海の復讐に利用された人たちであっても、その本人の心持ちによって運命が変わることが示唆されている。
現代寓話としての『モンテ・クリスト伯』
公平、神楽、幸男が、暖を陥れたことを絶対に後悔しないことと対照的に、人を傷つけて苦しんでいる人たちも登場している。公平と留美の息子・安堂完治(葉山奨之)と、未蘭の友人・守尾信一朗(高杉真宙)だ。
完治は、暴行されかけた留美を守るために誤って寺門類(渋川清彦)を殺してしまう。
信一朗は、真海に促されて未蘭に毒薬のようなものを飲ませてしまう。
どちらも、真海の復讐に巻き込まれて、本人の意思とは関係なく人を傷つけてしまっている。
仕組まれた過失によってさいなまれる若者たち。もし彼らが、自分が陥れられたことを知ったら、真海と同じように復讐したいと思うかもしれない。
真海がそのことを後悔していたり、心を痛めたりしないのであれば、真海もまた公平たちと同じところに落ちてしまう。
「『モンテ・クリスト伯』は、寓話を作っているようだな」と感じていた。
香港マフィアがあからさまにマフィア然とした格好で日本をうろついている。警視庁刑事部長が個人的すぎる事情で取調室を使う。「現代日本で、それはないでしょ!」と突っ込みたくなるシーンも多かった本作。
古典原作の舞台を現代日本に置き換える際、リアル感を追求し尽くすのではなく、寓話のようにわかりやすい表象をわざと作ったのではないか。
寓話には、伝えたい教訓があるはずだ。
それでも、真海の復讐は最後まで進んでいく。他人を不幸にし尽くした真海が、その先に何を見るのかが楽しみだ。
今夜放送の最終話は、2時間スペシャル。放送時間は、普段とは違いよる9時からだ。
(むらたえりか)
【配信サイト】
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木曜劇場『モンテ・クリスト伯 ―華麗なる復讐―』(フジテレビ系列)
原作:アレクサンドル・デュマ(仏)『モンテ・クリスト伯』(1841年)
脚本:黒岩勉
音楽:眞鍋昭大
主題歌:DEAN FUJIOKA 『Echo』(A-Sketch)
プロデュース:太田大、荒井俊雄
演出:西谷弘
制作・著作:フジテレビ