地道に己の仕事を全うすることで報われる、勧善懲悪、そういう物語が勇気と安心をくれる池井戸潤の小説は、多くドラマ化され、視聴率も高い。いままで映画化されなかったことが意外だが、このたび『空飛ぶタイヤ』が映画化された。
これもまた、逆境に置かれた中小企業の社長がコツコツと努力を重ねて道を切り開くザッツ池井戸作品。そしてこの『空飛ぶタイヤ』こそがいまの池井戸潤を作り上げたエポックメーキング的な作品なのだという。池井戸潤はどうやって状況を突破したのか。
「半沢直樹」「下町ロケット」「陸王」…ドラマ化は大成功、池井戸潤「空飛ぶタイヤ」映画化の成果に迫る
(C)2018「空飛ぶタイヤ」製作委員会
6月15日(金)全国公開

ビジネス雑誌を切り抜いて登場人物一覧表を作った 


──今回、初映画化ということですが、今までも映画化の企画はあったのではないでしょうか。

「そんなにべらぼうではありませんが、映画化の話は来ます。これまではいろいろな理由で実現しなかったんです。今回がしっかりした脚本をいただいたので、これならと気持ちよくOKを出しました。原稿用紙にして千何百枚分の小説を2時間にするにあたり、本筋に関係ないエピソードを落としてしっかりエッセンスだけを残されている。読みの正しさと構成の確かさに、信頼できるクリエーターだと思いました」

──池井戸さんの小説は構成がしっかりしているので、それに倣えば誰もがしっかりした脚本を書けるのではと思いますがそうではないんですか。

「原作ものを脚本化するとき往々にして起こることでしょうが、自分の色を出そうとされることがあるんですね。もちろん変えてもいいんですよ、しっかりしたものになっていれば。ただ、僕の小説はビジネスシーンの連続ですから、そういう経験のない方が改変するのは難しいと思います」

──『空飛ぶタイヤ』は「もっとも大切にしている作品」とお聞きしましたが、そのわけは?

「もちろん、ほかは大切じゃないっていう意味ではないですよ(笑)。デビューして7、8年経ち、それまで書いていた長編のラインから離れていまにつながるベースになっているという意味で大事な位置づけの作品ということです。
どういうふうに違うかと言うと、プロット重視ではなく、人間をリスペクトして書くという。たぶん70人くらいの登場人物が出てきますが、全員の人生を強く意識して書きました。それまでは、登場人物の行動をプロット通りに描いていたのですが、この作品では、この人物だったらどう行動するかということだけを意識して書き進めました。思ったように小説が進まなくなってもなお、登場人物が動きたいようにさせたんです。小説のなかで登場人物が悩んでいるときは、作者も悩んでいるときなんです(笑)」

──70人もの登場人物の個性はどうやって考えたのですか?

「『空飛ぶタイヤ』に限っては、登場人物一覧表を写真つきで作りました。自分のイメージに合うキャラクターを、『週刊ダイヤモンド』といったビジネス誌に載っている企業人の顔を切り抜いて貼って(笑)。顔写真の印象に引きずられることもありますが、リアリティーのある言動をイメージしやすくもなりました」

──原作の冒頭で、主人公・赤松の風貌の描写があって、それと映画で赤松を演じている長瀬智也さんにはだいぶギャップがある気がしたのですが、いかがですか?

「確かに原作より長瀬さんは格段にかっこいいですが(笑)ストレスが溜まっている感じの演技をされていて、赤松になりきっていると感じました。キャスティングに関してが、プロデューサーや監督に一任しています。原作を読んで、このシーンをこういう風に撮りたいと絶対思っているはずですし、キャスティングは、視聴者や観客の動員が変わる、すごく重要な部分ですよね。そこはお任せしようと。だいたい映像の賞で最優秀原作賞ってないじゃないですか(笑)」

ストーリーラインはシンプルに


──多く映像化されるのは、他にどういう理由があると思われますか?

「ストーリーラインがシンプルだからではないでしょうか。仕事ものなら仕事ものに徹底して、合間にラブシーンを入れたりしないとか。例えば、日曜9時にリビングに家族が集まって、同じところでうるっとしながら仲良く見ることができる。
そういういろいろな世代が楽しめるようなわかりやすい作品は意外に少ないのかもしれません。映画も当たるといいんですが(笑)」

──映画って何が当たるかわからないですものね。

「本もわからないですよ。こんなのが売れるの? ってこともあります。例えば『民王』は、これを出したら読者がいなくなると思って、文春の担当者に「頼むから宣伝しないでくれ」なんて滅茶苦茶なことを言っていて、ふたを開けてみたら、僕がもっと自信を持っていた作品よりも売れたんですよね、不思議です(笑)」

──『民王』はドラマも面白かったです(15年にテレビ朝日で放送された。『空飛ぶタイヤ』に出演している高橋一生が重要な役で出演している)

「僕も、あのドラマは好きですよ(笑)」

──先程、『空飛ぶタイヤ』は、人を描くようになって、いまにつながるベースになったとおっしゃいました。その作品が直木賞候補作になって、その後、『下町ロケット』で直木賞を獲られます。その間、どういうふうに、研鑽を積まれたのですか。

「わかりやすさですね。こういうエンタメ小説で、企業が舞台となるとそれだけで敷居が高くなるじゃないですか。僕にしてみると、一番まずいのは『おもしろくなかった』という感想じゃなくて、『難しくてわからなかった』、これが一番ダメなんですよ。そうならないように、小学校高学年から80代のお年寄りまで、誰でも読めるように易しく書くことに気をつけています」

──誰が読んでもわかるふうに書くほうが難しいですよね。


「難しいですね。それには、文体に凝らないことも重要です。ついつい凝ってしまうんですよ。小説の書きはじめはとくに美文に走りがちになる」

──そうじゃないと個性化できない恐怖がありますよね。

「僕は凝った文体に引っかかってほしくないと思っていて、ストレートに書くようにしています。それがわかりやすさにつながっているのかもしれませんね。あと、あまり“正義”とか、“人としてこうあるべき”と思って小説を書いてはいないんです。もちろん、道徳観念は念頭にありますが、それよりもはるかにエンターテインメント作品として書いているつもりです。『空飛ぶタイヤ』も、純粋にエンタメとして楽しんでもらいたい。そのうえで、なにか事件が起きたときに、そういえば、会社の内部にはいろいろあるってことを書いていた小説があったなと思い返してもらう、それくらいでいいんじゃないかと思っています」

──先程、『空飛ぶタイヤ』で70人もの登場人物の設定を考えて書いたとおっしゃっていましたが、そのなかに池井戸さんを投影した人物はいないんですか?

「全然いません。よく小説に出てくる銀行員は僕の投影ではないかと聞かれますが、そうではないです。自分のことを書いていたら、書くことがあっという間になくなってしまいます。
僕は小説を自分のために書いているのではなく、読者に楽しんでもらうためだけに書いている。自分を投影しようなんて発想はそもそもないんです」

──『空飛ぶタイヤ』はタイトルが印象的でした。どのようにお考えになったのでしょうか。

「四字熟語のようなタイトルは絶対つけたくなくて、変わったタイトルにしてやろうと思って。あえて逆説的なものにしました」

脚本を書いてみたい気持ちもあるけれど…


──ところで、よく趣味のお話をされている記事を見かけますが、そのなかでお芝居を見るのが好きという記事を読んだことがありまして、お好きですか?

「お芝居というか、ミュージカルですね。僕が唯一連載しているのが、劇団四季の会員向け会報誌なんですが、『劇場で会いましょう』というタイトルで毎月エッセイを連載しているんです。劇団四季や『半沢直樹』でお世話になった石丸幹二さんのミュージカルは、ほとんど見ています」

──ミュージカルの世界観は小説を書くときに役立ちますか。

「自分の小説に直接フィードバックはしないですけど、例えば劇団四季の『アラジン』や『ライオンキング』のように王道を行く作品が好きですね。そういったオーソドックスなエンターテインメントを書いていきたいと思っています」

──舞台化の話も来ませんか?

「たまに来ますが、なかなか成立しないですね。自分で脚本を書いてみたいという気持ちもありますが、そんな時間があったら、いまは本業の小説を書くべきですよね、やっぱり(笑)」

空飛ぶタイヤ
原作 池井戸潤
監督 本木克英
出演 長瀬智也 ディーン・フジオカ 高橋一生 深田恭子 岸辺一徳 笹野高史 寺脇康文 小池栄子 阿部顕嵐(Love-tune/ジャニーズJr.) ムロツヨシ 中村蒼 ほか
6月15日(金)全国公開
(C)2018「空飛ぶタイヤ」製作委員会

一台のトレーラーが脱輪事故を起こしたことから、整備不良を疑われた赤松運送の社長・赤松徳郎(長瀬智也)。四面楚歌で経営危機に陥りながらも独自で事件の調査をはじめると、車両の構造そのものに欠陥があるのではと気づき、大手自動車会社・ホープ自動車に再調査を依頼するが相手にされない。ホープ自動車のカスタマー戦略課長・沢田悠太(ディーン・フジオカ)は赤松の訴えを最初は無視していたが、社内でリコール隠しがあることを知り、考えを変える。
はたして赤松は立ちはだかる巨大企業の壁を乗り越え、脱輪事故の真実にたどりつけるのか……。
「半沢直樹」「下町ロケット」「陸王」…ドラマ化は大成功、池井戸潤「空飛ぶタイヤ」映画化の成果に迫る

池井戸潤 Jun Ikeido
1963年岐阜県生まれ。慶應義塾大学卒業。98年『果つる底なき』で第44回江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。11年『下町ロケット』で第145回直木賞を受賞。『半沢直樹』、『花咲舞が黙ってない』、『ルーズヴェルト・ゲーム』、『ようこそ、わが家へ』、『民王』、『アキラとあきら』、『陸王』など作品が次々ドラマ化される。『空飛ぶタイヤ』はドラマ化されているが、自身にとっての初映画化作品ともなった。

(木俣冬)
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