
青年ジェームスの心の拠り所は、喋るクマの特撮番組だった
『ブリグズビー・ベア』の物語は、人里離れた砂漠にあるシェルターから始まる。25歳のジェームスはこのシェルターの中で、父テッドと母エイプリルとともに暮らしていた。両親との仲はいいものの、外気は有毒で、ガスマスクなしでは外出禁止。ジェームスは生まれて以来ずっとシェルターを離れたことがない。
ジェームスの唯一の楽しみは、子供の頃から毎週ポストに届く教育ビデオ『ブリグズビー・ベア』の研究。『ブリグズビー・ベア』は勇気あるクマが宇宙を股にかけて大活躍し、その合間に算数やゴミの捨て方を教えてくれる番組だ。大量の話数が存在するこの『ブリグスビー・ベア』の感想をネットのフォーラムにアップし、同好の士と語り合うのがジェームスは大好きなのだ。
しかし、ある日突然シェルターに警察が突入し、テッドとエイプリルは逮捕、ジェームスは警察に身柄を保護される。シェルターや有毒な外気は真っ赤な嘘で、テッドとエイプリルは25年前にジェームスを誘拐した犯人。そして『ブリグズビー・ベア』は2人が自主制作していたビデオだったのだ。ジェームスが感想を投稿していたフォーラムも全て偽の両親の自作自演。何もかもが嘘だったのである。
初めて本当の両親や妹と再会し、戸惑いつつも新しい生活を始めるジェームス。しかし心にあるのは「『ブリグズビー・ベア』の新作を見たい」という気持ちだけ。そんなある日、ジェームスは妹オーブリーに連れられていったパーティで映画監督を目指すスペンサーと知り合い、2人は『ブリグズビー・ベア』の新作映画を撮影することを思いつく。
周囲の協力もあり、『ブリグズビー・ベア』の撮影を進めるジェームスと友人たち。しかし、ジェームスの本当の父親であるグレッグは、息子が誘拐犯が作った番組に心を奪われっぱなしなのがどうしても許せない。さらに森での撮影中にジェームスは小火をおこし、撮影の道具を警察に取り上げられてしまうことに。果たして映画『ブリグズビー・ベア』は無事完成させられるのか。
誰しも、子供の頃に好きだった番組はある。大抵は成長すると共に興味も移り変わり、それなりに折り合いをつけるものだが、ジェームスは特異すぎる成長過程からそのタイミングを奪われ、25歳になるまで閉じた世界で生活してきた。体は25歳だが、心は子供のままである。加えて劇中におけるジェームスの行動が、完全にオタクの戯画だ。チープな特撮番組のレビューをネット上のフォーラムに投稿し、劇中のヒロインに淡い想いを寄せる。
そんな彼が、半ば強制的に世界と関わりあうことを求められる。特にジェームスが警察の事情聴取において初めてコーラを飲む場面は印象的だ。瓶のコーラは、ジェームスがこれから生きていかなくてはいけない「アメリカ」という国の象徴である。初めて飲む味に戸惑いつつ、ジェームスはコーラを飲み込む。初めての酒、初めてのドラッグ、初めてのキス。外の世界の景色を初めて見たジェームスの感想を「全てが大きい」とした脚本のキレは凄まじい。
なんとかして今までの暮らしとこれからの暮らしに折り合いをつけなくてはいけないジェームスが選んだのは、『ブリグズビー・ベア』の新作を自分の手で作り出すことだ。厳しすぎる現実に向き合うため、ジェームスはフィクションに一度退避し、周囲の助けも借りつつそのフィクションを自分の中で整理しようとする。いつだって現実はクソだけど、おれたちはフィクションから力を得て、また現実に戻ってくることができるのだ。『ブリグズビー・ベア』のストーリーには、物語を紡ぐことそのものへのリスペクトと信頼が溢れんばかりに詰め込まれている。一度でも物語に力をもらったことがある人なら、必ず刺さる。
しかし、おれはもうひとつ別の理由から『ブリグズビー・ベア』が深く突き刺さってしまった。ジェームスを誘拐した偽の父親を演じているのが、マーク・ハミルだったのである。
『ブリグズビー・ベア』にマーク・ハミルが出演する意味
マーク・ハミルといえば、言わずと知れた『スター・ウォーズ』でルーク・スカイウォーカーを演じた俳優である。またハミルは、史上最大級のフィクションの力で人生の角度を曲げられてしまった人物でもある。なんせ俳優として映画デビューしたのが『スター・ウォーズ』第1作なのだ。ハミルは公開当時26歳。『スター・ウォーズ』が大成功したおかげで、26歳にしてその後の人生を「ルーク・スカイウォーカーのマーク・ハミル」として生きることを余儀なくされた。『スター・ウォーズ』後もいろんな映画に出たが、誰も「マーク・ハミルといえば『風の惑星/スリップストリーム』だよね!」とは言わない。いわば、彼もまたフィクションの強力すぎる力によって自分の人生に多大な影響を受けた人間だ。
加えて、おれもまた『スター・ウォーズ』によって多大な影響を受けた人間の一人である。幼稚園児の頃に『新たなる希望』を初めて見た時は猛烈な衝撃を受け、シリーズを今まで何度見返したのかよくわからない。今でもたまにC-3POのオイル風呂やヤヴィン基地から飛び立っていくXウイングを見ては、「『スター・ウォーズ』ってたまに見ると面白いな……」とうわごとを言っている。
そういう文脈が幾重にも重なったのが、「『ブリグズビー・ベア』の誘拐犯役がマーク・ハミル」というキャスティングだ。演じる方も見る方も、『スター・ウォーズ』というフィクションの力によってハチャメチャな影響を受けている。おまけに『ブリグズビー・ベア』本編は、80年代に粗製乱造された『スター・ウォーズ』の亜種のような、チープな特撮のスペースオペラだ。ワープする時には星がギューンと尾を引いて後方に流れ、謎のクリスタルの力で着ぐるみのクマが強くなるのである。そんな作品を自分で作って、誘拐した子供に見せていたのがマーク・ハミル……。文脈が重なりすぎておかしくなりそうだ。ハミルもよくぞこの映画に出てくれたものである。五体投地してお礼を言いたい。
このキャスティングからもわかるように、『ブリグズビー・ベア』ではフィクションが持つ力のいい面も悪い面も描かれる。しかし、ポジティブな面への信頼が全編を貫いていたのが、見終わった後には心に残る。なにより、『ブリグズビー・ベア』のような作品が生まれるのだから、やはりフィクションとそれを作る人たちは偉大だ。
(しげる)
【作品データ】
「ブリグズビー・ベア」公式サイト
監督 デイヴ・マッカリー
出演 カイル・ムーニー マーク・ハミル ジェーン・アダムス グレッグ・キニア クレア・デインズ マット・ウォルシュ ほか
6月23日よりロードショー
STORY
砂漠のシェルターで教育番組『ブリグズビー・ベア』を見つつ、両親と共に育ったジェームス。しかしある日、シェルターに突入してきた警察によって両親は逮捕、ジェームスは身柄を保護される。両親が自分を誘拐した犯人であり、『ブリグズビー・ベア』は誘拐犯が作っていたと知らされたジェームスは実の家族と新しい生活を始めるが……