連続テレビ小説「半分、青い。」(NHK 総合 月〜土 朝8時〜、BSプレミアム 月〜土 あさ7時30分〜)
第14週「羽ばたきたい!」第84回 7月7日(土)放送より。 
脚本:北川悦吏子 演出:田中健二

84話はこんな話


鈴愛(永野芽郁)の第二の職場・100円ショップ大納言に「ソケット」を買いに来た森山涼次(間宮祥太朗)が臨時バイトで入ることになった。

動物占いはペガサス


リアルタイムでは鈴愛の誕生日7月7日だったが、ドラマの中では無関係な日。
ほんとうは、前半の総集編が放送される予定だったが、大雨のニュースで延期となった。


7月7日の誕生日は描かれないが、鈴愛にとっては重要な1日が描かれる。
朝、大納言に出勤して来ると、涼次がいた。彼は運動会で書き入れ時の4日間だけ大納言でバイトすると言う。

鈴愛は店で共に働きながら森山涼次の人となりを知っていく。
年齢は鈴愛と同じ、昭和46年。動物占い(99年当時流行っていた。玖保キリコの動物イラストが人気の一因だった)はペガサス(鈴愛は狼)。
愛称は「涼ちゃん」。年上の女性にそう呼ばれる、と言いつつ女性が周囲にあまりいないため女心がわからない。親がいなく料理は自分でできる。気が利く。映画の助監督をやっている。


鈴愛との会話の様子から、マイペースで、少々とぼけた雰囲気。これが、鈴愛のとぼけた雰囲気といい具合に
マッチしていて、ふたりの会話は独特なノリを醸し出す。
鈴愛は年上に思われたこと、しかも理由が「貫禄があってタフそう」という「フォローという名のダメ出し」をされたことは不服そうではあったが、それ以外はまんざらでもないような表情をしている。

店長・田辺(嶋田久作)から改めて紹介されたあと「よろしく」と言う涼次には“ため”意識が入っていて、
それに満足そうな鈴愛の表情も印象的だった。

うわーなにこれ死体!


店の奥に入った涼次が叫ぶ「うわーなにこれ死体!」。
店長・田辺が酔って床に寝ていた。
これは嶋田久作が遺体になって登場するm欅坂46主演の土曜ドラマ24徳山大五郎を誰が殺したか? 「徳山大五郎を誰が殺したか」
(17年)のパロディか。ちなみにこのドラマのサブタイトルは「隠シタイ」「燃やシタイ」「シょっぴきタイ」と全12話「〜シタイ」に統一されている。遺体、死体に掛けているのだろう。「半分、青い。」もサブタイトルは「〜〜したい」シリーズだ。
もひとつちなみに、このドラマ「おっさんずラブ」で一躍注目された脚本家・徳尾浩司が参加している。
「半分、青い。」84話。なぜ鈴愛の片耳失聴が控えめに描かれてきたのか
「徳山大五郎を誰が殺したか?」 Blu-ray SMR(SME)(D)

「あさが来た」では主人公あさ(波瑠)が恨みを買って刺されるエピソードがあったが、朝ドラで殺人事件はなかなかない。以前、当時のドラマ部長に話を聞いたときこんなことを聞いた。

“──朝ドラが向いている脚本家というのはどういう資質ですか?
まず、セリフでストーリーを運べる方でないとちょっと厳しいとは思います。ダイアローグである程度長いシーンを書けて、もうひとつは、家族関係とかに興味のある方ですね。例えば「社会問題を訴えることに全精力を注ぎます」とか、「やっぱり殺人事件が起きないと盛り上がらない」と考えるタイプの方、まあ、そんな方はいないですけど(笑)、例えばいたとしたら、ちょっと朝ドラは難しいんじゃないかなと思います。
──『朝ドラ殺人事件』というドラマがありましたが、朝ドラ自体で殺人事件は起こることはありました? 今まで。
いや、どうですかね? 「一回もなかったか」と問われるとわからないです。朝ドラは相当いろんなことをやってきているので。一回ぐらいあったかもしれませんよ。でも、例えば「毎週月曜日に一人死んで、土曜日に犯人が見つかる」みたい作品はまだないですね。
──主人公のお父さんが警察官で日夜事件が起きている朝ドラはいかがでしょうか(笑)。
いやあ、月曜日に殺人事件が起きて「誰が犯人なんだろう」と思いながら土曜日まで過ごす時間はかなり長いと思います(笑)。“(otoCoto 朝ドラドラマ部長インタビューより)

時代の変化


かつて大納言は戦前から続いた老舗の帽子屋だったと田辺。時代が変わって、じょじょに古き良きもの、個性あるものがなくなって、100円ショップのように均一化されていく。バブルの頃はブランドがブームでそこそこ高価な服を日本人が着ていたが、00年代、10年代になるとファストファッション時代になって、みんなユニクロでOKに。
朝ドラも、戦前、戦後の古き良きものを描いたドラマから、100円均一、ファストファッションドラマになっていくのか心配になる。

その頃岐阜では、食堂の厨房で、宇太郎(滝藤賢一)と仙吉(中村雅俊)が仕入れた魚が傷んでいたという話をしている。まさか、これ、年をとって新鮮さを失っていく恐怖のメタファーだろうか。いやいや考え過ぎと思いたい。

一番になりたかった


晴(松雪泰子)が草太(上村海成)に電話して鈴愛の様子を探るように言う。
そばで晴が聞いているので、草太は鈴愛に気を使ってワン切りして、あとからそっとひとりでかける。
持つべきものは洞察力のある弟。彼は鈴愛の状況をなんとなくわかっている(晴もわかっているわけだが)。
漫画家をやっているふりする鈴愛に「今 あなたは何をしていますか」と聞き始める草太。

白状した鈴愛は、「漫画やったら一番がとれるかもしれないと思った」「誰かが私を好きになってくれるかと思った」と胸のうちを吐露する。
一番とは、いわゆる少年漫画「てっぺん」である。「てっぺん」を目指すことは物語のテーマのポピュラーなものである。時代劇で言ったら「天下を取る」である。

鈴愛の言う「一番」は誰かにとっての一番の存在でありたいということのようにも思う。誰かとは律だったのだろうけれど、彼がいない今、誰かの一番になりたいという切実な想いなのだと。
姉の話を聞いているときの草太の表情が良かった。

追憶のかたつむリ2


涼次の勤務時間は6時まで。先に帰った彼は手帳を忘れていく。その中から詩が出てきて、その詩に涙する鈴愛。
そこに書かれた
「ぼくは悲しいかもしれない。
でも、隠そうと思う。」

「翼は折れたかもしれない。
でも、明日へ飛ぼうと思う」
などというフレーズは鈴愛の気持ちにフィットしたのだろう。
ちょうど鈴愛は草太に「翼の折れた雀」と茶化して言っていた。一見、話も舞台もがらっと様変わったように見えるが、鈴愛は苦しみから解き放たれていなくて、無理して忘れたふりをして茶化して生きているのだと思う。
彼女が来ているグレーのトレーナーの下にボーダー柄が透けて見える。
あたかも漫画家時代(ボーダー)に覆いをしているように見える。

と、そこに元住吉(斎藤工)の映画「追憶のかたつむり」だ。
以前のレビューで「半分、青い。」40話。発見、鈴愛はぐるぐるしたものと縁があるで「半分、青い。」にはぐるぐるするものをモチーフによく使うと指摘した。

“永久機関、ゾートロープ、ぐるぐる定規、拷問器械、はじめて描いたカケアミ・・・とグルグル回るものに縁がある、鈴愛。
彼女のハンディキャップである、耳にも蝸牛という部位もあるし、それがある内耳(平衡感覚を司り、そこに疾患があると回転性目眩が起こる)は“迷路”とも呼ばれているそうだ。
なんとなく、ぐるぐるが繋がった。“

ここへ来て、耳の器官の名前の由来である蝸牛(かたつむり)まで登場。子ども時代「小人が踊ってる」とゾートロープで耳の状態を表現したように、鈴愛はおそらく片耳失聴により世界がぐるぐる回っているような感覚を味わうことがあるのだろう。彼女は表面には出していないが人知れず苦しんでいるのではないか。
それをリアルに描くことをあえてせず、おりにふれて回転するモチーフで表現しているのではないか。
まさに「ぼくは悲しいかもしれない。
でも、隠そうと思う。」という一節のように。
この詩は北川悦吏子が2003年 GLAYのライブ用に書いたものだそうだ。

だがしかし、このぐるぐる回転について、40話のレビューでは縁の繋がりとも考えて見た。鈴愛の今のもがきは無為な繰り返しではなくやがて何かに繋がっていくにちがいない(秋風もそんなことを言っていたっけ)。
(木俣冬)
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