かつて、ビートたけしは人気店に行列をなしてまで入ろうとする者を「品がない」と評していたが、玉さんも一連の騒動に何とも言えない品のなさを感じてたのではないか。(「KAMINOGE vol.77」にて、玉袋は「俺も軍団の兄公の悪口言うのやめるわ」「全部言っちゃうと向こうが落ちるだけじゃなくこっちも落ちちゃう」と発言している)
玉さんは、新宿生まれ新宿育ちだ。「東京生まれは違うよな」と、傍観者の立場から勝手に惚れ直したというか。
たけしが伝える粋
今月、玉袋が『粋な男たち』(KADOKAWA)なる新書を発表した。

団結した軍団がパワーゲームを展開する中、徒党を組まず自我を貫く彼に粋を感じていたので、めちゃめちゃグッドタイミングな出版だと筆者は感じる。
玉袋は、自らのことを「粋な男」とは認めない。というか、「俺は粋だよ」と言う人間が粋なわけないのだが。
「でも、粋に憧れる思いは昔も今もずっと変わらないし、多くの偉大な人たちが見せてくれた『粋』を感じる『センサー』だけは持ち続けているという自負はある」
そのセンサーがあるからこそ、彼はビートたけしの弟子になった。
「中学時代に初めて『ビートたけしのオールナイトニッポン』を聞いて以来、オレはずっと『たけし原理主義者』として生き続けてきた」
玉袋が“たけしチルドレン”のままでいるということは、今も昔もずっと玉袋はたけしから粋を感じ続けているということ。
玉袋は、「遠慮のある人」が好きだという。浅草キッドには謹慎していた時期がある。復帰の目処が立たず、沈んでいた玉袋に連絡を入れたたけしは、弟子相手に負けん気を発揮した。
たけしが何を言いたいか、センサーを持つ者には丸わかりだろう。――明けない夜はない。シャイなたけしは直球を放らない。でも、密かに奮起させてくれる。玉袋は、北野映画について、こう持論を述べている。
「北野作品には泣ける映画もある。胸が苦しくなるような場面もいっぱいある。でも、それは過剰なセリフだったり、大袈裟な音楽だったり、そんなもので盛られたものじゃない。なんて言うのかな、適切な表現が見つからないけど鼻につかない提示の仕方なんだよな」
「遠慮したあの頃の自分をすげぇ褒めてあげたいね」
「遠慮のある人」について、もう少し掘り下げよう。
玉袋には一つの成功体験がある。『ビートたけしのオールナイトニッポン』が放送していた時代、木曜深夜の有楽町・ニッポン放送前は聖地だった。颯爽と現れるたけしを一目見ようと、ファンや弟子志願の若者らが大挙して出待ちをしていた。一方、新宿育ちの玉袋は放送後に一行が訪れる四谷の焼肉店「羅生門」でたけし来店を待ち構えた。と言っても、何をするわけでもない。弟子入りを直訴するでも、話しかけるでもなく、ただ、その目で見たいだけ。
するとある日、「あんちゃん、店のなかに入って生ビールでも呑んでけよ」とたけしの方から声を掛けてきた。正直、ものすごくうれしい。でも、恐れ多いではないか。
そんなことが2~3度続いた頃。たけしが店の中へ入り、数分後に店内からラッシャー板前がやって来て「殿が呼んでいます。ぜひ、店内に入ってください」と玉袋らを酒席へいざなった。やはり断る玉袋に対し、ラッシャーは「キミたちが入ってくれないと僕らが叱られる」と、なんと頭を下げるのだ。こうまでされて入らないわけにはいかない。当時高校生の玉袋は、たけしの前に用意された席に腰を下ろしたのだ。
「殿はオレたちにこう言うんだ。『あんちゃんたちも生ビール呑んでけよ』って」
振り返れば、玉袋らに遠慮と奥ゆかしさがあったのが良かった。だから、たけしは玉袋に目をかけ、軍団入りを勧めたのかもしれない。
「あの頃の自分がすげぇ好きだね、すげぇ褒めてあげたいね」
北野映画にはたけしの生き方そのものが滲み出ていると、玉袋は語る。
「常に、そこにあるのは『自分ごときが……』っていう、照れや恥じらいのようなものなんだよね。そういった、奥ゆかしさを持った人にオレは本当に惹かれるんだ」
オフィス北野騒動から距離を取る玉袋に筆者が惹かれた理由が、なんとなくわかった気がする。
最後に。自ら率先して「粋」を語る姿勢、それだけはどうしても腑に落ちなかった。結構、遠慮のない行いである。
「オレみたいな野暮な男に『粋とはなにか?』を語る資格なんか、これっぽっちもないってことはよくわかってる。でも、角川新書編集部からの、『そこをなんとか!』っていう“無粋な依頼”を受けて、自分なりに『粋』ってものを頑張って考えてみた」
高校時代、羅生門でラッシャーに頭を下げられたのと状況が酷似している。そうまで言われたら断りきれないという心境か。これで全てが腑に落ちた。
(寺西ジャジューカ)