フランスの優勝で終了したW杯 そこから垣間見えた外交や政治問題とは

アメリカのミレニアル世代が「新しい情報をアップデートする」という意味で使う「Woke」をタイトルの一部に組み込んだ本コラムでは、ミレニアル世代に知ってもらいたいこと、議論してもらいたいことなどをテーマに選び、国内外の様々なニュースを紹介する。フランス代表がクロアチア代表を4-2で下し終了した、FIFAワールドカップロシア大会だが、サッカーの祭典を外交の場として利用したいというプーチン大統領の思惑が鮮明になった1カ月でもあった。
また、国内の政治問題が露になった出場国も少なくなかったのが、今大会の特徴だ。2回に分けてロシア大会から垣間見えた外交の動きや、出場国が抱える政治問題について振り返りたいと思う。

代表チームの躍進に歓喜したロシア
プーチンの支持率を上昇させる起爆剤にはならず


フランスの優勝で終了したW杯 そこから垣間見えた外交や政治問題とは

6月14日から7月15日にかけて行われたFIFAワールドカップロシア大会。6月14日にモスクワのルジニキ・スタジアムでホスト国のロシアがサウジアラビアと開幕戦を戦い、1カ月に及ぶ大会がスタートした。代表チームの強さを知るうえで、目安のひとつとなるFIFAランキングで、大会直前のロシアは66位で、一方のサウジアラビアは67位。32の出場国の中で最も弱いとされるロシアとサウジアラビアによる開幕戦に対しては、試合前から「眠気を誘うようなつまらない試合になるだろう」といった厳しい声も少なくなかった。

しかし、試合が始まってみると、ロシア代表は眠っていた獅子が目覚めたような変貌を見せる。
選手が無尽蔵とも思えるスタミナでピッチを走り回り、サウジアラビアに5-0で大勝したのだ。ロシアはグループリーグの2戦目も、3-0でエジプトに勝利。決勝トーナメント進出が確定した状態で挑んだ3戦目は、ウルグアイに完敗したものの、多くのサッカーファンの予想を裏切る形で決勝トーナメントに進んだ。決勝トーナメントでは強豪のスペイン相手に1-1で延長に突入。延長も入れた120分を戦い終え、PK戦でスペインをやぶるサプライズを起こした。準々決勝も2-2のままPK戦を迎えたが、クロアチアに最後の最後で敗れる結果となった。


ロシア国内におけるサッカーの歴史は古く、1912年から1914年までは帝政ロシアの代表チームが存在したほどだ。第一次世界大戦やロシア革命などの混乱期を経て、ソビエト連邦が1922年に成立すると、間もなくしてソ連サッカー協会が設立され、1924年にはモスクワでトルコ代表と初の国際試合を行っている。ワールドカップではソ連代表として出場した1966年大会での4位が最高成績となるが、事実上のプロ選手で固めたオリンピック代表チームは1980年代の終わりまで、各大会でメダル獲得の常連国であった。

ロシアは世界的な名手も輩出しており、1950年代から20年近くにわたってプレーした、ゴールキーパーのレフ・ヤシンは現在もサッカー史上最高のゴールキーパーであったとされる。現在とは異なる政治状況であったため、西ヨーロッパのビッグクラブに移籍することなどは不可能な時代。ヤシンはディナモ・モスクワとソ連代表でしかプレーしていないが、ヨーロッパの年間最優秀選手に贈られる「バロンドール」を受賞した唯一のゴールキーパーだ(この記録はまだ破られていない)。
ソ連時代からのサッカー人気は現在まで続いてきたものの、近年のロシア代表はお世辞にも素晴らしいチームとは言えなかった。そういった事情もあり、今大会でのロシア代表の躍進は多くのロシア人にとって予期せぬサプライズとなったのだ。

ワールドカップにおける「フィーバー」を政治的に最大限利用したかったのが、国内外での影響力を維持したいプーチン大統領であった。しかし、ワールドカップで国民の多くがロシア代表の躍進に歓喜したにもかかわらず、プーチン政権による国内政策を冷めた目で見ていることが、複数の支持率調査によって明らかになっている。ロシアでは2019年から段階的に、年金を受給できる年齢の引き上げを行う予定だが、国民からは反発の声が絶えず上がっており、サッカーによって国民のガス抜きを行うという目論見は外れた格好になってしまった。

フランス代表の決勝進出によって
予期せぬタイミングでの露仏首脳会談が実現


ワールドカップは、ロシア国内におけるプーチン人気の底上げにはつながらなかったが、外交面では一定の成果を得たようにも思われる。
開幕戦では、VIP席でプーチン大統領とサウジアラビアのムハンマド皇太子が仲良く観戦する姿がテレビ中継からも確認できたが、実は試合が始まる直前に2人は石油輸出機構(OPEC)の石油政策に関して会談を行っていた。アメリカのトランプ政権はOPECに対し、石油の増産を早急に行うよう求めているが、増産に反対する加盟国も存在し、それらの国々との調整をどのように行うべきかが話し合われたようだ。

大会期間中にプーチン大統領はスタジアムやクレムリンで、出場国の首脳や、北朝鮮の政府高官とも会談を行っているが、プーチン流のワールドカップ外交で最も大きなものは、決勝戦が行われる直前にクレムリンで行われた露仏首脳会談だ。もともと予定されていたものではなく、フランス代表が決勝に進出したことで実現した、まさにサプライズ会談であった。通常、首脳会談を行う場合には、数週間から数か月の準備期間が設けられる。フランスが準決勝でベルギーに勝利した直後に、プーチン大統領はフランスのマクロン大統領に電話をかけ、フランスの決勝進出に祝意を伝えたのだが、その際に決勝戦直前にクレムリンで会談を行い、そのあとで一緒に試合を観戦するというプランが決まった。


クレムリンで行われた露仏首脳会談では、シリア内戦やイラン核合意、NATOをめぐるヨーロッパとアメリカの認識の違いなどが話されたのだという。フランス代表の決勝進出が決まったのが7月11日で、露仏首脳会談は4日後の15日に行われた。16日にはフィンランドのヘルシンキで米露首脳会談が行われたが、その前日にマクロンとプーチンが会談を行うというシナリオは、さすがにトランプ政権も予測していなかったはずだ。会談の詳細は明かされていないが、「ヨーロッパの特使」として、マクロンはプーチンに何を伝えたのだろうか。

15日のモスクワには、4年後にワールドカップを行うカタールのタミム首長の姿もあった。タミム首長も、決勝戦が行われる前にクレムリンでプーチン大統領と会談を行っている。
カタールは昨年からサウジアラビアやUAEといった周辺の湾岸諸国との関係が悪化しており、ロシアから最新鋭の地対空ミサイルを購入することが決まると、サウジアラビアは「カタールへの軍事行動もありうる」という厳しい姿勢を露にしていた。6月にはフランスメディアが、カタールとの関係改善に向けて、周辺の湾岸諸国がマクロン大統領に調停役として動いてほしいと要請していたことを報じている。

結果、同じ日にモスクワにロシア、フランス、カタールの首脳が集まり、クレムリンでは様々な話が行われた模様だ。結果論になってしまうが、マクロン大統領のモスクワ入りはフランス代表の決勝進出が無ければ、そもそも実現しなかった話。2018年のフランス代表が、結果的に外交に少なからぬ影響を与えたのだと、やがて歴史が証明するかもしれない。
(仲野博文)