
かつて、「秒速で1億円稼ぐ」という謳い文句でさまざまなメディアに出演していた与沢翼という人物をご存知だろうか。ネオヒルズ族の代表的な存在としてその豪勢な遊びっぷりなども度々話題になった人物だ。そんな与沢は2018年現在ドバイに住んでいる。どのような経緯でドバイに居住するようになったのだろうか。今回は与沢の経歴を振り返りながら紹介していく。
与沢翼のプロフィール

与沢翼に関してはメディアへの露出こそあるものの、タレントではないため、その詳細を知らない人も少なくないはずだ。そこで、まずは与沢のプロフィールを確認してみよう。
生年月日:1982年11月11日
出身地:埼玉県秩父市(のちに大宮に引っ越す)
学歴:高校中退〜大検取得〜早稲田大学
起業歴:エスラグジュール株式会社〜株式会社Rajuri〜株式会社フリーエージェントスタイル
大金を稼ぐ人物ということで、さぞかし優秀なのだろうと考えた人ももいるかもしれないが、与沢は大宮を代表する不良だったのだ。
小学校時代に秩父から大宮に引っ越してきた与沢はいじめにあい、そのことがきっかけで中学時代は不良になり喧嘩に明け暮れるようになっている。高校にも進学しているが3日で退学、その後はひたすら悪の道を突っ走っていくことになる。
しかし、警察のお世話になったことがきっかけで、不良関係のつながりを全て断ち、勉強に取り組み大検を取得している。その後は早稲田大学へ進学し、大学4年次にエスラグジュール株式会社という会社を設立した。
不良として10代の大半を過ごした与沢だが、祖父母が旅館を営んでいて商売が身近にあったこと、中学時代に転売ビジネスをはじめ月に数十万円を稼いでいたこと、さらに鳶職やパチンコの台打ちなど数多くのアルバイトを経験していることなど若い頃から自身でお金を稼ぎ続けている。そういった経験もあり、大学に入学する前でありながら、月収150万円、2年間で700万円を貯めたという逸話も残されている。
このように、与沢に関しては起業する前からビジネスに関する才能や経験が十分に備わっていたと考えられる。
大学4年で起業! 秒速で1億稼ぐ男の誕生

早稲田大学へと進学した与沢は、当初弁護士を目指しており、大学入学前から六法全書を持って勉強に取り組むだけでなく、入学後も司法試験予備校に入学するなど勉強に全力で取り組んでいた。
しかし、大学3年次に「起業は楽しい!21世紀ニッポンの起業家人生入門」(西川潔著、日経BP社)を読んだことがきっかけとなり起業することを決意。2006年3月にはアパレルを扱うネット通販会社であるエスラグジュール株式会社を設立している。
このエスラグジュール株式会社はeggやmen's eggといった雑誌との業務提携を結んだほか、渋谷の109に出店したり、海外を含めて7店舗の開発を行うなど躍進を続けた。しかし、店舗の売り上げが予想よりも悪かったことに加え、外部から招いた役員とのトラブルなどの影響を受けて倒産してしまう。
初めての会社は倒産という結果に終わってしまったが、与沢はエスラグジュールが倒産する前に次の会社である株式会社Rajuriを設立している。
Rajuriは、前の会社とは全く異なるアフィリエイト(成果型報酬型広告)関連の事業を行う会社だ。その後、Rajuriは株式会社Free Agent Style Holdingsとなり、与沢自身のアフィリエイトでの成功体験をもとにした情報商材の販売やセミナー開催などの事業を手掛けていくことになる。
そして、2013年には「秒速で1億稼ぐ男の条件」(フォレスト出版)を出版。秒速で1億稼ぐ男のキャッチコピーが誕生するわけである。
この頃には、すでに莫大な資産を持っており、インタビューでは一晩に100万円を使い、5カ所の住まいを持ち家賃が総額800万円、200万円のスーツを着用し、高級車を乗り回すなどその大金持ちっぷりを明らかにしている。
会社が破綻! 3億円超の未払いの税金

Free Agent Style Holdingsの会長として大きな成果を上げ、豪勢な生活を送っていた与沢だったが、2014年4月に会社の資金が足りなくなってしまったことを明らかにし、会社が破綻状態であることを報告している。
資金不足は、税金の支払いに対して誤った認識をしていたこと、取引先の企業が倒産してしまったこと、投資で大きな損失を上げてしまったことなどが理由だったそうだ。
会社の税金支払いに追われることになった与沢は、それまで所有していた高級外車を全て売却したほか、複数持っていた住居も解約、さらにはネオヒルズ族の象徴とも言える六本木ヒルズのオフィスも退去している。
この一連の騒動に関して元祖ヒルズ族で、実業家の堀江貴文は目先の欲に目が眩んでしまったとバッサリ。また、与沢が堀江に憧れていて、堀江の後継者と言われていたことに対しては不快感を感じていたとも語っている。
これらのことから一見すると与沢翼は終わった、と思うかもしれない。しかし、与沢は経営破綻から6カ月後の10月には約1億円あったとされる未払いの税金を払い終え、同時にブログなどによって月に100万円の収入を得ていたという。さらに、経営破綻後もメディアへの露出は継続しており、自身の転落話も商売に繋げているなど、転んでもただでは起きないのだ。
ちなみに、与沢本人は一時はビジネスをやめ、田舎に戻ることを考えたそうだが、お金を稼ぐことがこの世で一番面白いことだと語るなど、2つの会社の失敗など気にしていない様子だ。
借金返済! シンガポールへ移住

経営破綻の状態から約半年で未払いの税金を全て納めた与沢は、2014年の12月シンガポールで新会社の設立に向けた準備を進めていることを明らかにし、移住を果たしている。
与沢がシンガポールに移住した理由の1つに税金がある。シンガポールは日本に比べて税率がかなり低く、自分自身が税金によって痛い目にあっていることもあっての選択のようだ。また、アジアの市場でビジネスを行うのであればシンガポールには地の利があることも理由であると語っている。
経営破綻後は一文無しとも言われた与沢であったが、実際には先述の通り、ブログやホームページのアフィリエイト収入のほか、講演会などもあり、シンガポール移住後には月収が1,500万円であることを明かしている。また、シンガポールにはカジノもあるので、カジノで2,500万円を稼いだこともあったそうだ。
このように、あっという間に以前のような経済力を取り戻した与沢は、シンガポールでも家賃200万円の家に住み、家具には3,000万円を費やすなど再び豪快な暮らしを送ることになった。
ちなみに、シンガポールでは投資の勉強に取り組み、投資家としても活動しているが、これについて与沢は資金貯めの一環であり、10億円を貯めてビッグビジネスに挑むと語っているなど、そのスケールの大きさは計り知れない。
結婚発表! 妻はどんな人?

シンガポールに移住した与沢だが、実は当時付き合っていた彼女も一緒に移住している。彼女とは、グラビアモデルやレースクイーンとして活躍していた相原麻美のことだ。
与沢が相原との交際を始めたのは2014年の1月。豪勢な私生活をオープンにしていることもあって、相原との交際も公にしているのだが、実は交際を公表する5日前に前の彼女と別れたことを公表していたこともあって、その切り替えの早さに驚きの声が上がった。
シンガポール移住後のインタビューでは夜遊びをせずに相原の手料理を堪能していることを明かすなど、ラブラブな様子をうかがうこともできる。一方で、与沢が相原のセクシーな写真をブログやSNSにアップするなど過激な場面も時には見られた。
そんな2人は2016年7月に結婚と相原の妊娠を発表、12月には長男が誕生している。
それまで、数々のインタビューでたくさんの女性と遊んでいることを語っていた与沢ではあるが、相原との交際は1年半に及ぶなど意外と?一途なのかもしれない。
赤ちゃん生まれました! → https://t.co/v5uWt4tM8S
— 与沢 翼 (@tsubasa_yozawa) 2016年12月27日
ドバイ時間で12月27日1時24分
日本時間では12月27日6時24分
3,535グラム、男の子 pic.twitter.com/Z13HN4SVLf
ドバイへ移住! どんどん増えていく資産

与沢が結婚を発表したのが2016年の7月17日なのだが、実はその1週間前の7月10日に2人はドバイへと移住している。
シンガポール移住後、再び莫大な資産を稼ぎ、成功していた与沢だが、なぜドバイへと移住したのだろうか。この点に関しては、自身のブログで「生涯の安定をもたらすため」であると語っている。
与沢は、生涯の安定について以下のように説明している。
それは死ぬまでの生活費をさっさと稼いで、家は自己所有で家賃を無くしてしまい、資産からインカムゲインを得ていく状態です。
YOZAWA TSUBASA BLOG
実際に与沢はドバイに移住後、超高層ビルの一室を2億5,000万円で購入しているため、家賃はゼロになった。また、リッツカールトン、ハイアット、ウェスティンなどの高級物件を購入し1億円以上の家賃収入が入ってくる計画であることも明かしている。
さらに、2017年は投資は仮想通貨などによって年収が25億円、総資産が65億円となり、利息だけで9,000万円が入ってくるなど、もうこれ以上お金を稼がなくてもいいレベルの資産を持っている。
不労所得だけでも莫大なお金が入ってくる状態の与沢は、まさに「生涯の安定」を得たのである。
ダイエットへの取り組みが話題に
与沢といえば、メディアに露出するようになったころから、ぽっちゃりとした体型だった。毎晩のように豪遊していたのだから当然と言えば当然かもしれない。
しかし、2018年6月にダイエットを宣言し、その取り組みをTwitterで公開している。
私にとって減量とは10億円を稼ぐよりも困難なことです。これは本心です。27歳ぐらいから太り始め早8年。ダイエットしたいと思ったことは1000回は優に超えていると思います。しかし実行に移したのは2回ぐらい最大で2日です3日坊主にも勝てません。超情弱ダイエット難民。与沢クライシス。
— 与沢 翼 (@tsubasa_yozawa) 2018年6月11日
89.8kgでした。
— 与沢 翼 (@tsubasa_yozawa) 2018年6月13日
今日から筋トレ頑張ります。 pic.twitter.com/IerjurRWhm
当初は90kg近くあった体重だが、ダイエット開始後わずか2カ月で60kg台まで減量している。
8月13日
— 与沢 翼 (@tsubasa_yozawa) 2018年8月13日
ダイエット62日目
69.35kg(最低更新)
前日比 - 0.25 kg
トータル - 21.85 kg
BMI24.9(最低更新)
体脂肪率22.5%(最低更新)
筋肉量51kg
基礎代謝1502kcal
水分量53.4%
祝BMI25以下に。やっと普通の人間に戻ることが出来ました。 pic.twitter.com/xYctcVyJMh
異常とも思えるペースでの減量だが、与沢はビジネスにおいても予想できないくらいのスピードで成果を上げ、莫大な資産を得てきたように、ダイエットに対しても全力で取り組んでいるのだ。一方で、先ほど紹介した「生涯の安定」を手に入れた与沢だからこそ、ダイエット中心の生活を送ることができているのかもしれない。
ちなみにダイエットのきっかけは保険料だったそうで、健康だと掛け金が安くなるとのこと。もちろん与沢の加入する保険なので、その保険料は数億円にものぼる。
ダイエット中の言葉が話題に
ダイエットの状況を逐一Twitterで報告している与沢だが、ダイエット中につぶやいた言葉が名言だと話題になっている。
「腹が減ったなんて幻想だ」
「すぐ辞める奴が成功しないのはどの世界でも同じだな」
「痩せるまで辞めないので結局このダイエット自体は最終的には勝てる勝負ごと」
など、実際に痩せていっている姿を目にすると、ものすごく説得力のある言葉のように感じられる。
腹が減ったなんて幻想だ。デブは水があれば生きていける。これは本当に。
— 与沢 翼 (@tsubasa_yozawa) 2018年6月26日
やるなら徹底的にやらねばならぬ。断食を中途半端にやると逆に爆食いとかになりうる。それだと逆効果。
やるなら徹底的だ。
脂肪が声も出ないほどな。徹底的に持続的に痩せ切るまで徹底だ。
すぐ辞める奴が成功しないのはどの世界でも同じだな。当たり前か。誰よりも長くやることだけが優位性でそこで差が付くもんなぁ。気づいたら周りはいなくなってるそれが本当の勝利の姿。辞めた人は続けて結果出した人を羨ましく思うが既に手遅れでそこから再度やる気力はない。勝者はさらに前進していく
— 与沢 翼 (@tsubasa_yozawa) 2018年7月3日
まー痩せるまで辞めないので結局このダイエット自体は最終的には勝てる勝負ごと。そう思うだけで楽。辞めないだけでいいんだもん。停滞しようが食事制限してるし運動もしてるし。1ヶ月前とはまるっきり違う生活してる。だから結果は後から付いてくるし体も後から習慣に追いついてくるだろ。それでいい
— 与沢 翼 (@tsubasa_yozawa) 2018年7月16日
体重の公表は2018年8月までとのことだが、ダイエットに悩んでいる人は一度与沢のツイートを見てみるとモチベーションが上がってくるかもしれない。
まとめ
今回は秒速で1億稼ぐ男、こと与沢翼についてその経歴を紹介してきた。その豪快なお金の使い方や稼ぎ方から話題になることの多い人物ではあるが、失敗しても諦めることなく、ビジネスでもダイエットでもとことんストイックに取り組んでいる。全てを真似することはできないかもしれないが、このような姿勢は大いに参考になるはずだ。