
大相撲第54代横綱の輪島で、北の湖とともに「輪湖時代」を築いた輪島大士氏が死去したことが報じられた。
横綱としての偉大なる足跡はテレビや新聞がこぞって報じると思うので、ここではその後の輪島の活躍を振り返りたい。
ジャイアント馬場が手塩にかけた、名横綱のプロレス転向
1986年、大相撲を廃業した輪島はジャイアント馬場率いる全日本プロレスに入団。
大相撲の現役引退から5年のブランクを経て、38歳での再スタートになる。
相撲界での人気・知名度は、まさに馬場以上といったところ。
当時、日本テレビのプロレス中継はゴールデンタイム放送中。その目玉としても期待される存在だった。
輪島のプロレス転向をきっかけに、東スポ以外のスポーツ新聞もプロレスを取り上げることになったほど。それだけセンセーショナルな話題だったのだ。
社長レスラーの馬場は、アメリカで輪島に約半年間の修行を積ませた。
元世界チャンピオンクラスのレスラーたちをコーチに付け、馬場自身がアメリカでの輪島のデビュー戦のタッグパートナーを務める高待遇ぶり。また、生活面での面倒も馬場がすべて見ていたという。
日本デビュー戦は、輪島の地元・石川県七尾総合市民体育館にて。
対戦相手は昭和を代表する大ヒール(悪役)“インドの狂虎”タイガー・ジェット・シンだ。
乱暴な言い方ではあるが、ラフファイトが売りのシンが試合をリードするため、輪島は根性を見せれば好試合が約束されるカードである。
最高のお膳立てで迎えた凱旋マッチで、横綱時代を彷彿とさせる鋭い眼光、紅潮する気迫の表情を見せた輪島。
しかし、下半身の運びを始め、試合内容自体は全体的にもたついていた印象。シンもどこか遠慮がちで、プロレスの厳しい洗礼を与えるに至らず。
結果は、5分55秒で両者反則裁定だった。
プロレスマニア的には、シンの投げたパイプ椅子がロープに当たって、リングサイドにいた馬場の側頭部にジャストミート、思った以上のダメージに悶絶した馬場の姿が一番の見どころだったかも知れない。
世間の関心は高かったが力量はともなわず……
この一戦は、23.5%の高視聴率を獲得。
プロレスラー輪島に対する世間の注目度の高さが証明された形だ。
その後も観客動員、視聴率ともに上昇。週刊誌でも特集が組まれ輪島フィーバーが続く……はずだった。
実際は、超一流レスラーとの試合が数多く組まれるも、対戦相手の忖度が感じられることがほとんど。
受身を取ることや、相手を倒した後の寝技への移行がなかなか上達しない。相撲が染み込みすぎているのか、試合運びのぎこちなさが拭えないままなのである。
タイトルマッチが組まれても試合内容が伴わない。
こうして、輪島フィーバーはあっという間にトーンダウンしてしまったのだが……。
天龍との白熱の試合で輪島復活! その後の格闘技界に大きな影響も!?
当時の全日本プロレスは、長州力率いる一派が古巣の新日本プロレスへUターンしたこともあって、客足に陰りが見えていた。
そんな中、気の抜けたファイトを続ける輪島に対し、しびれを切らした選手がいた。
今や滑舌の悪さを武器に(?)バラエティ番組で存在感を発揮している天龍源一郎である。
輪島に対して必要以上に厳しい攻めを展開。自身も大相撲出身なだけに、横綱にまで上りつめながらもプロレスではパッとしない輪島に対して、奮起を促したのである。
また、天龍には、失笑が漏れることさえあった輪島に対し、プロレスとはこんなもんじゃないというプライドもあったという。
これにより、輪島もついに覚醒。気合でそれに応戦し、やられてもやられても立ち上がる姿で、不格好ながらも全力ファイトを繰り広げていった。
その闘いぶりは他の選手たちにとっても大いに刺激になった。そして、全日本プロレス全体の底上げにつながっていったのである。
当時の新日本プロレスで“格闘王”の異名を取り、格闘技志向の強いプロレスを標榜していた前田日明が、「これをやられたら俺たちの存在意義がなくなる」と、より格闘技寄りとなっていったのは、プロレスファンにとって有名なエピソードだ。
UWFムーブメントの社会現象化、それに続く格闘技ブームの原点がここにあると思うと、輪島がプロレスラーに転向したことの功績は非常に大きいのである。
『生ダラ』で大ブレイク! 天然キャラが大ウケ
わずか2年でプロレスを引退した輪島。
しかし、長年の相撲人生を経ての激しいプロレスの毎日。肉体はとっくに限界を迎えており、早期引退は当初からのプランだったという。
その後に選んだのは、まさかのバラエティの世界だった。
大相撲時代からの輪島ファンだった、とんねるず・石橋貴明の強い要望で、日本テレビ系『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』に起用されたのである。
そもそも、大関昇進伝達式では口上をド忘れして「謹んでお受けいたします……」のみだったり、プロレス入団の際に「(借金で)裸になったので、また裸で出直します」と発言したりと、そのユーモアセンスというか天然ぶりには定評があった輪島。
石橋との絡みで面白さがグイグイ引き出され、天然ボケタレントとして開花。番組準レギュラーになり、現役時代を知らない若者たちの間でブレイクしたのである。
「好みの食べ物は?」と聞かれ即座に「金髪!?」と返すなど、その間も受け応えも抜群。滑舌が悪いこともあって、輪島のコメントは番組テロップで常に「?」付きになっており、それがまたおかしさを誘ったものである。
お見合い企画を通じて再婚も果たし、その後もバラエティ番組で大活躍するきっかけとなるなど、『生ダラ』出演は輪島の運命の大きな転機であった。
すれっからしのプロレスファンとしては、必殺技「ゴールデン・アームボンバー」のドタバタぶり、ファンタジー系プロレス漫画の傑作『プロレス・スターウォーズ』で極限まで美化された活躍ぶりも鮮明に思い出されるのである。
輪島さん、長い間お疲れ様でした!!
(バーグマン田形)