大槻ケンヂ「歌が下手だと言われるけど、カラオケに行くと『俺上手いな』と思う(笑)」/インタビュー後編
撮影/コザイリサ

――【大槻ケンヂ】インタビュー前編より

「ライブではどうかと思うかもしれないけど、カラオケ行ったら上手いんだ」っていうの、我ながら最高ですね(笑)

──「オカルト」は映画『緊急検証! THE MOVIE』の主題歌でもあって。

大槻:もう5年くらいレギュラーで出ているテレビ番組なんですけれども。
それが映画化されるということで、エンディングテーマをやらせてもらったんです。おいちゃんが非常にキャッチーな曲を書いてきたので、じゃオカルティックな詞をつけようってことになって。おいちゃんの曲は聴いた瞬間に詞が浮かぶものが多いんですよ。「ネクスト・ジェネレーション」も「なぜ人を~」も「オカルト」も「I,頭屋」も、これはこういう詞にしようってすぐ浮かぶんだ。曲作りの相性がいいんでしょうね。で、いちばん悩むのは内田くんの曲かな。「ケンヂのズンドコ節」も最初はこのタイトルじゃなかったんです。でも最後に“ズン ズン ズンドコ”って入れたら、なんか曖昧模糊として終わりましたね。それがいいんですよ。内田くんは筋少のなかの不思議枠なんだと思います。

──「ネクスト・ジェネレーション」もとても面白いです。

大槻:いいですよね、これ。
ちょっと性的な意味に捉える人もいるんですけど、そういうんじゃないんだということを僕は言いたい。これは、お母さんが昔付き合っていたバンドのボーカルと、娘が今付き合ってるっていう歌なんですけど。これは昔、お母さんと娘の心と体が入れ替わる『フォーチューン・クッキー』っていうアメリカのコメディー映画があったんですけど。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』や『転校生』もそうですけど、人格入れ替わりタイムワープものの序章として作った曲なんですよね。あとこの曲、サビの前まではとってもキーが低いんです。でね、キーが低いんじゃないかなって言ったら、「これはおいちゃんのTレックス的解釈じゃないのか」って言われて。あ、なるほど~って思ったんです。そういう考え方もあるなって。たしかにマーク・ボランならこう歌うなと思って、うにうに歌うな~と思いましたね。たしかに曲に合う。

──他の曲も、今回はキーの低い曲が多くないですか?

大槻:そうなんですよ、「I,頭屋」も「オカルト」もですけど、今回は横ノリの曲がちょっと多めだし、いつもの筋少よりキーが低いんです。そこは今回のひとつのテーマになっているかなと思いますね。


──それは、たまたま?

大槻:いえ、実は2作前くらいから試みているんです。そうすることで、自分でいろいろなことがわかってきて。キーを下げてバラードを歌うと、僕は「宇宙戦艦ヤマト」っぽく非常に朗々と歌う歌手なんだなぁとか。レッドツェッペリンのロバート・プラントも最近はとてつもなく音を下げて歌ってるんですよね、でもカッコいいじゃないですか。デヴィッド・ボウイも後期は低音でうねうねうねうね歌っていた。それがカッコいいと。僕は高音絶叫型ボーカリストではあるけれども、近年は、中音域でも筋少はできるっていうのを試してみたいんですよね。

大槻ケンヂ「歌が下手だと言われるけど、カラオケに行くと『俺上手いな』と思う(笑)」/インタビュー後編
撮影/コザイリサ

──すごくダンディーで素敵だと思いました。

大槻:ありがとうございます。あのね、僕ね、よく歌が下手だって言われるんですけどね、カラオケ行くと、あれ!? 「俺、歌、上手いな」と思うんですよ(笑)。ライブじゃ信じられないくらい絶叫してますけど、実は普通に歌えるんですよ。そういう部分も出していきたいと。
でも「ライブではどうかと思うかもしれないけど、カラオケ行ったら上手いんだ」っていうの、我ながら最高ですね(笑)。

──ちなみにカラオケでは何を歌うんですか?

大槻:え!? ああ、アリスとか桑名正博さんとか。桑名さんの「月のあかり」なんて、僕、上手いですよ。アリスの「遠くで汽笛を聞きながら」も大したもんですよ、僕。十八番ですよ、ええ、ええ。

──ところでタイトルにもなっている“視差”という言葉ですが。

大槻:元を正すと『パララックス・ビュー』という陰謀論の映画がありまして。面白い映画じゃないんだけど、僕はその映画がすごく気にかかっていて。物事すべてにおける人々の見解の違いは、視差があるからなんじゃないかと思って。筋肉少女帯の30年も、栄光を誇るべきものだったのか、そうじゃないのか、視差から見てみたらどうだろうと思ったんですね。視差をテーマにということは、前からやってみたいと思っていたので。

──視点を変えると、同じものでも違って感じられるということ?

大槻:芥川龍之介の『藪の中』ですね。
一つの殺人事件が証言者によって全く違うものになるっていう。そういうのをやりたかったんですよね。でもそれは筋肉少女帯というバンド内にも言えることでね。僕はアルバムを歌詞の面から捉えることが多いですけど、メンバーはアルバムを音から捉えることが多いわけで。なので一つのアルバムでも非常に大きな視差が生まれているんですよね。また自分が思う筋肉少女帯と、ファンの方々が思う筋肉少女帯は全然違いますからね。ファンの方もそれぞれ違う。そうなんだよな~。世の中は森羅万象、まさにそういうことなんですよね。ゆえに僕は特定の宗教も信じないしノンポリでいるんです。何も信じ込むことをしない。それは視差ということがいつも頭にあるからなんです。


――【マイ旬】大槻ケンヂ 願うのはミンティアなしの生活
編集部おすすめ