M−1の優勝者には仕事のオファーが殺到し、一夜にして環境が変わる。「M-1ドリーム」をつかもうと、毎年何組もの漫才師が挑戦し、その大部分が散ってきた。昨年、そのM-1ドリームをつかみ取ったのは、とろサーモンだった。
『芸人人生 泥に咲く花 〜M-1王者とろサーモン物語〜』は、とろサーモンのM-1初挑戦から優勝後までを追ったドキュメンタリーだ。元々、今年5月に朝日放送で放送されたローカル番組だったが、期間限定でTVerにて配信されている。今年のM-1グランプリが始まるまで、見返しておきたい。

2人の引っ越し
M-1グランプリ2017優勝から5ヶ月後の、2018年5月。『芸人人生 泥に咲く花』は、とろサーモンの2人がそれぞれ引っ越しをするシーンから始まる。引っ越し当日、ボケの久保田の部屋をカメラが訪れてみると、家のなかは散らかったまま。手伝いにきた後輩に「申し訳ない!仕事に言ってくださいよ〜」と嘆く久保田。この5ヶ月間で出演した番組は370本にもなっていた。
6年過ごした家は、窓がちゃんと閉まらず、ずっとすきま風が入っていたという。部屋には未練がなく「『売れたるわ』しかないですよ。
一方、ツッコミの村田も8年住んだ部屋を出ようとしていた。きちんと荷造りした段ボールを運びながら「仕事がないから毎日ここにおったな。引きこもりでした」と振り返る。
村田「ちょっと病んでましたもんね。17時になったら、街のサイレンが鳴るんですよ。♪テ〜レレ〜って、無駄に切ない音が。アレ流れ出したら勝手に涙出てきてましたね。ほんま嫌でしたもん」
2人とも引っ越しに伴い、ソファーなどの大物家具は捨てた。そこには「売れなかった時代を共に過ごした」という愛着はない。ただただ過去を連想するものを持っていきたくない。
ラストイヤーだからできたこと
M-1グランプリの挑戦資格は「結成15年」。2002年結成のとろサーモンにとって、M-1グランプリ2017はラストイヤーだった。15年分の挑戦は、M-1グランプリの密着カメラにしっかり押さえられている。2003年の初挑戦の際に、ネタ終わりにインタビューを受け、その映像が残っているのだ。「ちょっと緊張してます」と初々しく答える24歳の久保田。裏にある膨大なアーカイブ量を想像して震えてしまう。
とろサーモンはM-1初挑戦で準決勝まで進出する。ボケをあえて拾わない「スカシ漫才」という発明もあり、徐々にその名が轟いていくが、あと一歩のところで決勝まで届かない。準決勝で破れること、実に9回。1年また1年と敗退の様子がカットインする。どれだけネタを作ってもライブを重ねても決勝に名前を呼ばれない。東京移籍をするも仕事もない。
迎えた2017年のラストイヤー。11回目のM-1グランプリ。密着のカメラには「なるようにしかならないんで」「ラスト?もう何も思わないです」と開き直った2人が映っていた。この時の映像を見て、振り返る2人。
村田「漫才に余裕ができたというのはありますね。内にこもっている卑屈さとか、顔に出るんですよ。そんな怖い顔して漫才やってもお客さんなかなか笑わない」
久保田「僕も言ったんです。あの顔はやめてくれへんかって。笑ってやってくれと」
ラストイヤーだからこそ、肩の力が抜けた漫才ができた。ラストイヤーだからこそ、できたことがあった。
美しき花は泥に咲く
優勝し、歓喜の涙を流した夜を経て、再び2018年5月まで時は進む。とろサーモンの2人は、それぞれ新居での生活を始めていた。これまでの暮らしが嘘のような綺麗な部屋。すきま風などもちろん入らない。笑顔がとまらない。売れたことを実感する。
だが、「M-1ドリーム」はいつまでも続かない。泥の中から勢いよく飛び出したあと、ずっと飛び続けなければならない。5ヶ月経ち、テレビの仕事もピークを越えてきた。久保田は、極楽とんぼ・加藤浩次に「どやねんお前、売れてみて」と聞かれたという。
久保田「『これから好きなことも、好きでもないこともやらないといけないからな。好きなことだけやりたいんだったら、また戻ったらいいしな。あの地獄に』……そうですね……って。戦いをやめた人はテレビにいなんですよ。戦いをやめない人が、前向いて走り続けているだけ」
泥からの脱出はゴールではなく、新たな旅の始まり。15年間の重みに耐え抜いた2人は、そう簡単に崩れないはずだ。
明日のM-1グランプリでは、また新たなチャンピオンが決まる。15年目のラストイヤーはスーパーマラドーナとジャルジャルだ。彼らか、他の誰かか、栄冠に輝くのはわからない。勝った者も負けた者も、次のステージの幕があがることだけが決まっている。
『芸人人生 泥に咲く花 〜M-1王者とろサーモン物語〜』 TVerにて配信中
(井上マサキ)